放送業界のお話と落研と私的な思い出(瞳尻・黒舟)

「嗚呼!青春の大根梁山泊~東海大学・僕と落研の物語」スピンオフ・エッセイ。放送関係。業界のエピソードと近所の出来事

マジソンバッグの誘惑!

 46年程前の中学生の頃。柔道部で同期だった熊切君が放課後私に言った。「マジソンバッグ買えよ!」「何それ?」「今、流行ってるんだよ!これだよ!」見ると、不良の怖い高校生が持っているのを見たことがある紺色のバッグだった。

 

 当時。全国的に大流行したマジソンバッグである。流行にうとい私は何も気づいていなかった。

 私は柔道着をたたんで帯で縛って直接持って学校へ通っていた。昔のバンカラを気取って「柔道一直線」みたいなスタイルだった。

 

 熊切君は柔道部なのに、オシャレ。背も高く運動神経も良い。柔道体形ではなく水泳部に居そうな体形で、エレキギターを弾いていた。若大将に近い感じだ。

 私に「これ、聞けよ!」とビートルズのアルバムを貸してくれたのも彼だった。次の日聞いて返すと「どの曲が一番良かった?」と聞かれた。私は真剣に聞いていなかったので、唯一覚えていた「シーラブズユーだな!」と答えたのを覚えている。当時の私は吉田拓郎やNSPのフォークしか聞いていなかったので、その良さが分からなかったのだ(東京ではキッスが流行っていたので、この時点でビートルズなのは田舎である)。

 彼は顔だちも、少しポール・マッカートニーに似ていた。卒業式の後。女子生徒にボタンを取られていた。私は横で全てはまったボタンで見ていたのを思い出す。

 

 そんな男に「マジソンバッグ、買えよ!」と言われれば、協調性の王様と言われた私は断れない。

 

 学校帰りに、文房具とプラモデルを売る店に寄った。昔の田舎の商店は何故か文房具屋でプラモデルを売っていた。マジソンバッグを磐田の見附宿あたり(現在のジュビロロード)で売っているのはここだけだった。

 見ると…。珍しい緑のマジソンバッグがあった。熊切君は指さして「緑にしろよ!」私は目立ちたくないのでオーソドックスな紺が良かったが…。「俺と同じ色はやめろよ!」と言ったので、協調性を出して「じゃあ、緑にするよ!」と言った。

 内心は不良の先輩に「緑のマジソンなんて生意気だ!」と絡まれそうで不安だったが…。実際はからまれることは無かった。一応は市内で二人しか居ない中学生の黒帯だったので、カツアゲなどは遠慮してくれた様だ。

 

 今、ネットでまたマジソンバッグの復刻が売られている。文字は微妙に違うらしいが、デザインは昔のままだ。なんだか懐かしく輝いている。

 今のはスマホの充電ソケットも付いているらしい…。

 

 欲しい…。しかし…。必要か?!持って歩けるか…?結局、買わなかった。私は友人には協調性があるが、ネットに協調性は無い!

 

 酷いダジャレが浮かんでしまった。いらないものを買っては、マジ・損である。

 

 このブログ…酷すぎる…。