放送業界のお話と落研と私的な思い出(瞳尻・黒舟)

「嗚呼!青春の大根梁山泊~東海大学・僕と落研の物語」スピンオフ・エッセイ。放送関係。業界のエピソードと近所の出来事

雑誌「昭和50年男」~夜9時から始まるオレたちのAМラジオ~追伸。

  昔のラジオについて書かれている「昭和50年男」の続きを読んでいると…。「あっ!」と思った。

 

 電気グルーブオールナイトニッポンに関するインタビューに、作家のAさんの名前があったからだ…。

 

 私は40年程前。「ヤングパラダイス」の見習い作家のバイトをしていたが…。途中で辞める決断をした。

 テレビの仕事が忙しくなったことと、いつまでも「見習い」をやっているとまともな仕事が来ないと感じたからだ(圧倒的な実力があれば別だが…)。「見習い」という肩書きを早く捨てたかったのだ(もう他の局では普通の作家として仕事をしていた)。

 

 私はここを紹介した自分の師匠Мに断って勇退することにした。私にプロの洗礼をくれたこの局の伝説の男・Mさんは出世してもう現場には居なくなっていたし、私も26才ぐらいになっていた。そこで「そろそろ、辞めさせてください」とお願いしたのだ。

 私は止められるかと思ったが、新しいチーフのTさんは「あっ、そう!長い間ご苦労さん!代わりの人見つかるまでやってよ!」あっけなく決まってしまった。

  自分で頼んでおいてなんだが「辞めるなよ!」と止められない程度の存在だったのだと、チョット落ち込んだ瞬間だ。

 

 数日して、次の「見習い作家」がやって来た。引継ぎがてら「一回一緒にやって仕事内容を受け継いでもらった」。その男は性格が明るく社交的で誰にも好かれるタイプ。私も好感を持った。その「新見習い作家」がAさんだった。

 苗字が同じ別人かも知れないが…。九分九厘、後に「電気グルーブ」のオールナイトの作家になったAさんだと思われる。

 

 今、ふと思う…。「電気グルーブオールナイトニッポン」は春風亭一之輔少年が夢中になって聴いていた番組である。サンフリでも「電気グルーブ」の曲はよくかかる。

 あの時…。私が勇退していなければ…。私が「電気グルーブのオールナイト」の作家だった可能性はないだろうか?(かってな妄想である)。

 これは、痛恨のニアミスだ。

 

 ちなみに、私が携わっていたオールナイトニッポン他各局のラジオは一之輔さんが聞いていなかったものばかりである。

 

 あっ!テレビの「大竹まこと・ただいまPCランド」だけは、一之輔少年も観ていたそうだ。あれはギャラが安かった…。

 

 

 

 人生それぞれ、みんな違ってみんな良い!極個人的な「俺たちの旅」的学生時代のエッセイ!

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