放送業界のお話と落研と私的な思い出(瞳尻・黒舟)

「嗚呼!青春の大根梁山泊~東海大学・僕と落研の物語」スピンオフ・エッセイ。放送関係。業界のエピソードと近所の出来事

今、日本サッカーの勝利と共に、あの方の訃報を知る。

 サッカー日本代表のワールドカップ出場が決まった瞬間。フェイスブックで、知り合いの訃報を知った。

 Kさんと言う有名な放送作家の先生である。その昔。私は月~金のラジオの帯番組でこのK先生と一緒になった。

 他の作家より一回り上の世代の大先生だが、曜日担当の一人として参加していた。先生は優しく、的確で、文章も構成も品があった人だ。若手への否定もしなかった。

 

 この時。私は番組関連のブログをディレクターに頼まれていた。それが初ブログ(エッセイ)である。

 私は仕事なので仕方なく子供の頃の思い出などを綴っていた。

 

 ある会議で、K先生が言った。「小林君のブログ面白いよ!今、読むのが楽しみだよ!」。この一言に私は勇気づけられて、エッセイが好きになった。

 今は仕事でもないのにブログ、エッセイは苦にならなくなった。もはや、仕事ではなく趣味。個人の日記である。

 

 あの時のKさんの言葉が無かったら、今のブログは書かなかったと思う…。K先生!ありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします。