放送業界のお話と落研と私的な思い出(瞳尻・黒舟)

「嗚呼!青春の大根梁山泊~東海大学・僕と落研の物語」スピンオフ・エッセイ。放送関係。業界のエピソードと近所の出来事

子供の頃。仙台放送の麻世れいらさんのラジオが好きだった!

 小学生の頃。五十年は前のことだ…。私は静岡の磐田市で深夜ラジォを聞いていた。主流は「あのねのねの」等のオールナイトニッポンだったが、日曜の深夜になると当時は放送が休止になる。

 

 元々、東京の放送は途切れ途切れの電波で聞こえない部分があるのだが、日曜の深夜はどこの局も休止して静寂に包まれる。

 そんな中…。電波は悪いが、明るい女性の声が聞こえて来た。仙台放送東北放送らしい)からの生で「ジャンボリクエストAMO」という番組だ。

 仙台放送は平日の静岡県磐田市ではまったく入らない。各局の放送が休止する日曜の夜中(月曜の朝二時ぐらいか)しか入らない。

 

 私は友達が誰も聞いていない僕だけのラジオをゲットした様な気持ちだった。麻世さんはハガキ読みも上手く、テンションが高い楽しい放送だった。

 日曜深夜の寂しい気持ちを癒してくれる存在だ。私は友達にも内緒で毎週聞いていた。そのうち、番組スポンサーは地元企業の「えんどうチェーン」(字は不明)と分かる。スーパーか何かだろうか?

 この時紹介したハガキで「えんどうチェーン」が「遠藤千恵雄」に聞こえるというものがあった。何とも分かりやすい、ラジオの王道の様なネタである。

 

 後に私が構成に参加した久本雅美さん(当時は無名)のラジオで「久本雅美」を「イサムとワサビ」と聞き間違えたハガキが届いたが、それと同じだ。

 

 まだ、ラジオを聞く者が少なかった小学生時代。私は「俺だけが麻世れいらを知っている」とほくそ笑んでいたものだ。

 

 数年後。テレビで麻世れいらさんを見た!多分「ウィークエンダー」のレポーターだったような気がする。

 私は初めて、本人の顔を見た!そして「俺、知ってるよ!」と心の中でつぶやいた。

 

 ちなみに、みのもんたさんをテレビで初めて見た時。イメージと違い過ぎでショックを受けたことがある。

 麻世さんの時は、その様なショックは無かった。

 

 麻世れいらさんは、もうお亡くなりになっているらしい。私は新人放送作家の時。局の廊下で麻世さんとすれ違ったことがある。とても「リスナーでした」とは言えなかったが…。同じ空間に自分が居ることが信じられなかった。

 

 ラジコがある現在は実に恵まれているが…。あの、電波の乱れに耳を澄まして聞き入った情熱も、中々貴重な体験だったような気がする。

 今も地方で私の様なリスナーがラジコを使わず、春風亭一之輔の「サンデーフリッカーズ」(JFN)を聞いているかも知れない。

 そんなハードなラジオリスナーのバイブルと言われているのが、下のエッセイだ!でも、ラジオの話題は登場しません!

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「嗚呼!青春の大根梁山泊~放送業界編~」も出ました!こちらの文章は、今後も新原稿がアップされる予定です。

 

直木賞には程遠い、青春エッセイを皆様に…

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