放送業界のお話と落研と私的な思い出(瞳尻・黒舟)

「嗚呼!青春の大根梁山泊~東海大学・僕と落研の物語」スピンオフ・エッセイ。放送関係。業界のエピソードと近所の出来事

昔はコンサートの前座が居た!

 コンサートの前座が居なくなったのはいつからだろうか?

 

 その昔。有名アーティストのコンサートに行くと、開始前に若手のミュージシャンや歌手が一曲披露していた。同じ事務所の一押しアーティストのプロモも兼ねていた様だ。

 今なら「オープニングアクト」と言うのだろうが、近年は基本的に前座の登場はない。戦前、戦後の興業は寄席の影響で「前座」という発想が生まれたのだろうか?

 寄席がいかに全盛だったかがうかがい知れる。

 

 小学生の頃。地元の磐田市体育館で観た「ドリフターズ・ショー」の時。新人のアン・ルイスさんが前座で「グッバイ・マイ・ラブ」を唄っていた。当時、事務所一押しの新人だったのだろうか?この頃は、あの「いけいけ!姉ちゃん」の雰囲気ではなく、しっとりしたキャラを演じていた。

 

 そう言えば、昔、なきら健壱さんの前座が井上陽水だったことがあるそうだ。宇崎竜童さん(ダウンタウン・ブギウギ・バンド)の前座で所ジージさんが初期の名作「雪だるま」を唄っていたと聞く。

 

 ビートルズの武道館コンサートの前座で、ドリフが出たのも有名だ。

 

 しかし、いつから、コンサートの前座制度は無くなったのだろうか?例えば、サザンオールスターズの前座で、同じ事務所の福山雅治が登場したりはしたのだろうか?

 

 私が大学生だった昭和55年頃。横浜銀蝿のコンサートに島大輔が出た気がする。このあたりが、コンサート前座制度の最後の方だろうか?

 

 ちなみに、このエッセイの情報はうろ覚えのいい加減です。余所で言うと恥をかくかもしれないのでお気をつけ下さい。

 確実な情報は、この目で見た磐田市体育館のドリフの前座で出たアン・ルイスさんだけです。他はテレビでやってた情報の受け売り。信頼度はウキペディア級です。

 

 実はこのエッセイは前座である。真打は下の文章だ!全編ドキュメントの青春エッセイは「悲しくも愛おしい」。「全米が泣いた!」と言われている。泣いたと言っても「長屋の善兵衛さん」が泣いただけだ!善兵衛って誰だ?!その答えは、下の文を購入しても…分からない。

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「嗚呼!青春の大根梁山泊~放送業界編~」も出ました!こちらの文章は、今後も新原稿がアップされる予定です。

 

直木賞には程遠い、青春エッセイを皆様に…

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