放送業界のお話と落研と私的な思い出(瞳尻・黒舟)

「嗚呼!青春の大根梁山泊~東海大学・僕と落研の物語」スピンオフ・エッセイ。放送関係。業界のエピソードと近所の出来事

城山中学の同級生・Y田君!

 私が中学生の頃。二年・三年と同じクラスに、野球部のキャプテン・Y田君がいた。彼は、身長が170センチに足りない、小柄な男だ。

 しかし、彼の守備は鉄壁。打撃もパワフルかつ繊細だった。そして、肩が良い。本人曰く「原辰徳さんと遠投の距離が同じだ」と言っていた。彼もサードなので自慢げだ。

 

 当時、静岡の磐田市立城山中学校・野球部は相当の弱小クラブだった。しかし、何故か彼が3年の時、奇跡的にメンバーが揃い、県大会への出場を決めた。

 県大会は1回戦で惜しくも敗れたが、相手は優勝したので相当なチームだ。

 

 Y田君は、勉強が出来る。クラブの後、市民コーチの別練習や、朝の走り込みまでやっていたが、成績はクラスでも上位だった。

 

 私はY田君の人柄が好きで、とても仲が良かった(向こうはそうでもないだろうが、私はそうだった)。頭が良いのはどうでも良いが、弱小チームのレベルを上げたこと。人柄が素晴らしいこと。まるで漫画「キャプテン」の谷口のようなのだ(顔の形も谷口風だった)。

 

 ある日。Y田君が「絵で見るクラスの名前テスト」という手書きのテスト用紙を私に見せた。「これ、今作ってるんだけど……。アイディアないか?」

 見ると、クラスのメンバーの名前をダジャレの絵にして、「この絵は誰か?」答えるものだ。しっかりと、テスト用紙になっている。

 

 彼はアイディアマンだ。「木のイラストの一部がくぼんでいて」久保木という様な問題である。問題は10問中9問出来ていて、後は完成していた。

 

 そこで、私は思い付きで「田んぼのイラストで立札が「1円」と書かれている問題」を提案した。答えは「Y田」だ。彼は、自分の苗字を問題にしていなかったのだ。

 

 しかし、これは昔の「判じ絵」「判じもの」と同じ発想だ。昭和の名人・古今亭志ん生師匠も落語の枕で「蛇から血がでて、ヘービーチーデー!(A、B、C、D)」というギャグを言っている。

 

 このテストは、クラスの全員が参加して休み時間に行われた。彼は、こんなシャレっぽい男なのだ。

 

 ある日。Y田君が言った。

 

 「コバ!(私のあだ名)柔道の試合しようぜ!」

 「おっ!勝てたらあまってる黒帯やるよ!」(私は柔道初段で、一本使わない帯があった)

 「ハンディ、くれ!」

 「じゃあ、俺は三本で一本にしてやるよ」

 

 私には自信があった。Y田君は運動神経は良いが、小柄で私より背が低い。赤子の手をひねるようなものである。

 

 するとY田君は、またも企画力見せる。自分でチラシを作ってクラスに配ったのだ。

 「柔道部・初段・小林 VS 野球部・主将・Y田 因縁の柔道対決!勝つのはどっちだ!」

 

 昼休みに、道場で開かれることになった。

 

 試合はクラスメイトの観客の前で、審判は柔道部のK切君(同じクラス)で開催された。

 

 すると、Y田君は攻撃できない。私はあまり簡単に勝つと面白くないので、少し攻めさせる余裕を見せていた。

 

 Y田君が、足払いをしてきたので、軽く返して簡単に「一本」となった。すると、Y田君は投げられたのに素早く反転して私を押さえ込んだ。

 

 私は一瞬驚いたが、未経験者の押さえ込みなど簡単に返せるはすだ!

 

 私は、ブリッジで返した。あれ!……動かない!

 

 Y田君は小柄だが、筋力があり足腰も強い。あれ!返せない!

 全力でやれば返せそうだが、ここまで作戦を練って挑んだY田は凄いと思った。多分、寝技だけ練習したのだろう。私はそのまま寝ていた。

 

 一本となり。私は「黒帯をプレゼント」することに成った。

 

 私はY田君が好きだったので、悔しくなかった。「黒帯」をあげて彼をヒーローにした方がクラスが盛り上がる。話題になるイベントは快感なのだ。

 

 Y田君は、県内屈指の進学校で野球部は甲子園の常連S高からスカウトがあったそうだ(この高校は県内の成績がトップで野球の上手い生徒をリサーチしている)。

 しかし、彼は歩いて通える地元一の進学校、I南校に進んだ。この高校は甲子園どころか、予選の一回戦を中々勝てない高校だった。

 

 数十年たっての同窓会でのこと。Y田君と再会した。

 

 彼は、高校三年の時レギュラーで、シード校にもなっていたという。またも、弱小チームを押し上げていた。

 私の高校。東海大工業はその時、第一シードの優勝候補だったが、Y田君のI高校は、私の母校と練習試合で延長戦までいって負けたことがあるそうだ。

 ということは、トップレベルのチームだったことになる。

 

 しかし、シード校なのに夏の予選は一回戦で負けたそうだ。

 ちなみに、我が母校も第一シードなのに大番狂わせでS商業にスクイズで負けた。

 

 実は高校三年生の時。地元のテレビのニュースを見ていると、県内高校野球の注目選手の進路を紹介していた。見ると、五名ほどの中にY田君の名前があった。学力も優秀なA大学に進学していた。やはり、良い選手だったのだ。

 

 同窓会で「大学では野球どうだったの?」と聞くと「監督と喧嘩して辞めた!」とのこと。

 大学では「甲子園組」が特別扱いで、普通入学組は別メニューだったようだ。監督は「お前らをレギュラーにする気はない」と宣言したそうだ。

 

 Y田君は、卒業後にH新聞で六大学の記事を書いていた。現在はT新聞で社説を書くこともある凄い男だ。

 

 将来は、「高校の監督をやってみたい」と言っていたが、叶う日はあるのだろうか?

 

 定年後が楽しみである。

 

 

Y田君とは何の関係もない文章!

   ↓

宣伝。ネット書籍「嗚呼!青春の大根梁山泊東海大学・僕と落研の物語~」上・中・下

直木賞には程遠い、青春エッセイを皆様に…

安いです。上→200円。中→300円。下→300円。

「青春落語バカの楽しいエピソード」有名劇団の主催者や脚本家、演出家絶賛!

      ↓ 

 https://note.com/bakodayo1874basu