東海大学落語研究部・一年生の春。大学最寄りの駅、小田急線・大根駅(現・東海大学前駅)から、鶴巻温泉側へ歩いてすぐにスナック「ルパン」があった。
ここは、落研の出入りはなく、一年だけで同期会議をするのに都合が良かった。
一年の同期、頭下位亭黒舟(とうかいてい くろふね・私)、我裸門(ガラモン)、切笑(せっしょう)、で飲んで居ると…。
一番奥の席に、なんだか怖い集団がいることに気づいた。みると、ガクランの男達が「押忍~!」等と言っている。
完璧に応援団である。その日は、OBが来ていたらしく、私服の怖そうな人が真ん中に座っていた。
我々は、面識がないので問題ないが、怖いので、きりの良い所で店を代えようと思い席を立った。
すると…。
「あれ! お前ら、うちの兵隊じゃね~か!」
「えっ!」
良く見ると、一番大物の応援団OBの隣に大男がいる。あれ? ジャイアンみたいな人だ…。私は目を疑った。そう、落研の裏レジェンド・四年生の夢豚(ムートン)さんだ。
夢豚さんは、体育会や格闘関係の部とも親交があり。その人望から大学の文化祭「建学祭」の副実行委員長を務めていた。
そのため、各団体の大物OBとも仲が良かったのだ。
夢豚「紹介します! うちの一年生です」
三人「失礼します!一年の〇〇です」
夢豚「丁度いい! 今から兵隊が、芸やりますから見てやって下さい!」
三人「えええ~!」
三人の兵隊は固まってしまった。すると…。応援団のOBが「モノマネ見たいな!」と言った。
三人「ええ~!」
三人の相談の結果。モノマネが全くできない私が司会役で、他の二人がモノマネをやることになったのだが…。彼らもウケるネタなどない。
落研の何代か前の先輩が開発した「モノマネ南京玉すだれ」というネタがあったので、その形を使うことにした。
これは、「南京玉すだれ」(ご存知で無い方はお調べください)の歌を使って、
♪あ、さて!あ、さて!あ、さて!さて、さて、さて、さては南京玉すだれ~チョイと伸ばせば、チョイと伸ばせば〇〇〇にさも似たり~!
と歌った後、モノマネをやると言うものだ。玉すだれは無いので無理やりだが、クラブ内の宴会芸である。
ネタはなくとも、先輩の命令は絶対だ。とにかく、やるしかないのだ。
私「♪あ、さて!あ、さて!あ、さて!さて、さて、さて、さては南京玉すだれ~チ
ョイと伸ばせば、チョイと伸ばせば草刈正雄にさも似たり~!」
切笑「今晩は~!草刈正雄です!」シ~ン!
私「♪あ、さて!あ、さて!あ、さて!さて、さて、さて、さては南京玉すだれ~チ
ョイと伸ばせば、チョイと伸ばせば石立鉄男にさも似たり~!」
我裸門「おい! ちーぼう!」シ~ン!
予想した通りの、潮が引くようなシラケ方。三人の兵隊はあっけなく戦死した。
応援団の大物OBが言った。
「う~ん! 昔、獅子頭は面白かったのにな~!」(獅子頭さんとは、現・柳家一九師匠である。獅子頭さんは大学の校舎の形の形態模写やジーパン刑事の殉職シーンのモノマネ等でウケていた)。
夢豚「すいません! この兵隊! まだ、一年生なんで許してやって下さい! 切奴(現・昇太師匠)が居ればな~!」
一同「(心の声)あんたが、やらせるからだよ!このメンバー見れば予想がつくだろう!」
夢豚「黒舟~! 司会やるなんて、お前も偉くなったもんだな!まあ、かってに飲んでろ!」
先輩は悠々と去っていった。
我々三人は、自分の力の無さに打ちひしがれ、とても酔える気分ではなかった。
でも、私には分かっています。「夢豚さんは私たちにチャンスをくれたのですね」それを生かせなかったのは、我々の勉強不足でありました。「押~忍!」とコラムでは書いておこう…。
ちなみに、夢豚さんのその後を知りたいと、書き込んだツイッターの答えを…。
卒業後、信販会社に就職。後輩全員強制的にクレジットカードを作って下さいました。その後、転職した時、夢豚さんの一言「もう、やめたから解約していいよ」。
このカード。あれから数十年たちますが、今も私のメインのカードとして活躍しています。
裏レジェンドは不滅です!
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