放送業界のお話と落研と私的な思い出(瞳尻・黒舟)

「嗚呼!青春の大根梁山泊~東海大学・僕と落研の物語」スピンオフ・エッセイ。放送関係。業界のエピソードと近所の出来事

成子坂・桶田敬太郎の構想!

 私と仲の良い釣り仲間だった桶田敬太郎フォークダンスDE成子坂)君は、生前、「成子坂のコントを古典落語みたいに、若手にやらせてみたいんです」と言っていた。

 

 彼は若手のお笑い芸人を育成していた。そこで、勉強の為に「成子坂の定番コント」に挑戦させていたのだ。

 その若手は、ウケていたそうだが…。敬太郎には不満が残った様だ。

 

 「小林さん、若手に成子のコントやらせてみたんですけど…何か違うんですよね~!」

 

 具体的にどこが悪いかは言わなかったが、微妙な間、呼吸、言い方の強弱が「繊細」でないという。

 私の憶測だが、これは、落語で言うと前座さんの古典落語を観た師匠が「違う!」というのと似た感覚ではないだろうか?

 

 結局、若手はついて行けず、辞めて行った。

 

 今、知人から「敬太郎が生前に構想したクラウドファンディング」のお知らせメールが届いた。

 

 何と! フォークダンスDE成子坂のコントを、アニメの主人公にやらせるのだそうだ。可愛い女の子二人がストーリーの中でコントに挑戦するらしい。

 

 「芸人でダメなら、アニメで声優にやらせよう!」ということだろうか?

 

 今、思い出すと、釣りに行く車の中で「声優や俳優にコントさせようと思うんです」と言っていた。私は早朝に起きて眠い中で聞いていたので、あまり反応をしなかった。

 「ふ~ん!」と気のない返事をした様な気がする。今、思うと「それ、いいね~! いけるよ!」と言ってあげれば良かった。

 向こうも、そんなリアクションが欲しかったのではないだろうか?

 

 それ以来。その話は私にはしなくなっていた。私はただ眠くて適当な返事をしたのだが、「この人、のってない」と思ったのかもしれない。

 

 この映画の監督は、元芸人で桶田敬太郎に憧れていた人物。製作の責任者は、新人の頃の成子坂の才能を高く評価して、名古屋のテレビ番組に抜擢した人物。元プロデューサーで下北沢で劇場を経営するO氏である。

 ちなみに、この番組の構成には、私も参加していた。

 

 今、アニメによる予告編なども制作され、ユーチューブで流されている。資金さえ集まれば、実現するのだが…。まだまだ、先は見えていない様だ。

 

 こちらに、ホームページやユーチューブのアドレスを載せておきます。

 皆さん、お力を下さい!

 

 

クラウドファンディングHP https://camp-fire.jp/projects/view/339950

【公式ツイッター https://twitter.com/SketchSore

youtube ティザー】https://youtu.be/D2x2zBpxM-o

 

「鬼滅の刃」でふと思う!

 映画版「鬼滅の刃」が爆発的なヒットを飛ばしている。いままでは「流行りになんかのるか~!」と距離を置いていたが、もう、ここまでくると認めざるおえない。

 

 ネットでテレビ版を見てみた。「これは~~! 面白~い!」。

 

 まだ、一話、二話、を見ただけだが私の心に刺さる作品だ! これは、売れる!(とっくに売れているが…)。

 見ていると、懐かしい感覚に襲われた。これは手塚治虫先生の「どろろ」に似ている。そして、永井豪先生の「デビルマン」の要素も入っている。

 ヒットする条件が揃った凄い作品なのだ。

 

 「どろろ」は、魔物たちに奪われた自分の体を取り戻す旅に出る物語。そして「デビルマン」は悪魔になった男に人間の心が残っていて正義の味方となる話だ。しかも、妹の存在は百鬼丸と行動を共にする「どろろ」とも似ている。

 

 「鬼滅の刃」あなどりがたし! 計算されたヒットの法則を網羅した素晴らしい作品なのだ。

 

 とはいえ、今から第三話を見ます。評論レベルを落語に直すと、寄席に二回行った奴が人間国宝の芸について語っている状態である。

 

 皆さん! 怒っちゃやーよ! でも、面白いものは面白い!

 

 すいません。このブログ。放送業界も落研も関係ありませんでした。普通の感想です。

 

 追伸。今、三話を見て驚いた! 剣の訓練は「スターウォーズ」の様だ! どこまで、ヒット要素を盛り込むんだ! 映画も観なければ…。

 

 追伸。今、四話を見た。剣にする玉鋼を選ぶシーンは、やはり、スターウォーズだった。映画には描かれていないが、「スターウォーズ」の中に、子供たちが洞窟で戦い試練をうけて自分の「ライトセーバー」の元となる原石を探すシーンがある。アニメ版には描かれている。

 しかも、刀は持つ者によって色が変わる設定。まさに、ライトセーバーと同じだ!

 この作品は、あきらかに「いいとこどり」だ! もし、実写化するなら、この世界感はジョージ・ルーカスにしか撮れないだろう。

 

 これは、過去の偉大な作品へのオマージュだ。実はルーカスも黒澤をオマージュしている。日本にルーカスが現れた! のかも知れない。

 

 続けて、五話を見よっと! 「まだ、五話かい! そんな奴が何か語るなよ!」。

 「はい! その通りでございます!」

 

またも追伸。

結局、アニメ版は全話見た。しかも、映画も観てしまった。あわてて五十五才以上の割引もせず普通料金で観てしまった。

 

 結論は、主人公はいつでも鉄腕アトムの様に優しい。またも、手塚治虫先生だ! そして、私の好みでは「ギャグの部分がいらない」である。

 

 しかし、続きの映画が公開されたら観てしまうだろう? 

四年生の平頭さん!心に刺さる!

 40年前(執筆・2020年)。東海大学落語研究部の四年生に頭下位亭平頭(とうかいてい へいず)さんと言う先輩がいた。

 

 この人は「俺が、俺が」と前に出るタイプではなく、いつも、一歩引いたところから冷静に現状を見ている人だった。

 何故かいつも、首を少しかしげて歩く。骨でも曲がっているのだろうか? この首のかしげが「小さいお辞儀」にも見えるので先輩に失礼が無い。

 

 初めて、平頭さんを部室で見た時は、ドラマの中の風来坊が持つようなズタ袋を肩からかけていた。確か「明日のジョー」の矢吹ジョーが下げていたサンドバッグみたいな入れ物だ。

 勉強熱心でない落研がこんなに大きな荷物を持つ訳がない。いったい何が入っていたのだろう? 今も謎である(ノートパソコンも無い時代)。着物だったのかも知れないが…。

 

 平頭さんは、私に生まれて初めて、中野の居酒屋で「チューハイ」を飲ませてくれた人だ(noteの電子書籍「嗚呼!青春の大根梁山泊!~東海大学・僕と落研の物語~」に記している。)。

 

 この平頭さんは、古典に忠実な美しい落語を演じていた。私の印象に残っているのは「禁酒番屋」「味噌蔵」「野晒し」「幾代餅」「小言念仏」などだ。学生落語で「「小言念仏」がウケた人は、この先輩しか観たことがなかった。

 一年後輩の切奴さんの学年があまりに目立っていたので、地味な存在だったが、我々後輩は平頭さんが次はどんなネタをやるのか楽しみだった。

 

 そして、平頭さんは指導するのが上手かった。

 

 私の様な基本技術の無い一年生は、古典落語がまったくウケない。そこで、切奴(きりど・現・昇太師匠)さんや実志(じっし・現・TV演出家)さんが、新しいギャグを入れて見せてくれるのだが「先輩がやると面白い」のに「私がやるとつまらない」。天才肌の先輩はダメ部員の参考にはならないのだ。

 

 これは、野球でいうと「一本足打法」や「振り子打法」の様なものだ。本人の技量の上になりたっているものなのだ。

 私はいつも、教えてもらった後。「元に戻せ! お前には無理だ!」と言われていた。

 

 そんな、ある日。私の「つまらなさ」を見かねたのだろう。夏合宿で平頭さんが手招きした。

 「黒舟! 見てやるから、やってみなよ!」

 「頭下位亭黒舟です。「粗忽長屋」やらさせて頂きます」

 

 先輩に言われれば、断る権利はない。私は覚えたまま、なんの面白みも無く一席演じた。すると、平頭さんは言った。

 「上手いよ! だけど、ウケないよ! 粗忽長屋は、粗忽もののなかで素人がやると一番うけない難しい噺なんだよ! だから、気にするな! 次の噺で素人にもやりやすいのを選ぶといいよ!」

 

 私は愕然とした。覚えたばかりだったし、このネタで三年生の春にある「渋谷三大学落語会」に出ようと思っていたからだ。

 すると、平頭さんが言った。

 「最後の、「こんなことなら、もっと、いいもん食っとけば良かった」ってところ、「こんなことなら、もっと、いいもん食っとけば良かった。吉野家なんか行くんじゃなかった!」って言ってみたら。

 

 その後。老人ホームや学園祭で「粗忽長屋」をやったが、まったくウケなかった。だだ、一か所、ザワッとしたのは「吉野家なんか行くんじゃなかった」の部分だった(ちなみに「吉野家」は旨いです。学生は週に一度は食べていました。馴染みのある店名を入れると、反応があると言う意味のギャグ)。

 

 「素人にもやりやすい噺って何だ?」私は以前、実志さんに聞いた言葉を思い出した。「反対車」はバカオモだよ! 俺、二年の時、やろうか迷ったんだよ! やらなかったけどな!」

 

 知識もなく素直な私は、すぐ「反対車」を憶えることにした。すると、平頭さんが手招きした。

 「黒舟! 見てやるから、やってみなよ!」

 「頭下位亭黒舟です。「反対車」やらさせて頂きます」

 

 平頭さんが言った。

 「これなら、ヘタでも勢いでごまかせるな! ひょっとするとバカウケするぞ!あと、ギャグ入れてやる! 土管を飛び越せ! 一回目はウケないから、もう一度飛び越して、ウケないからもう一回やった!と言え。円鏡さんがやってるギャグだ!」

 それだけ言うと、去って行った。

 

 この「反対車」は、自分では良く分からないままやっていたが、確かに笑いが起るネタだ。オリジナルのクスグリを沢山いれたのも良かったのかもしれない。円鏡師匠のクスグリも確かに二度やると笑いが来ていた。

 そして、私の戦略は「長くやるとヘタがバレるので、短く爆発的にやる」ことだった。平頭さんのアドバイス「ヘタでも勢いでごまかせる」を実践したのだ。

 

 私はこのネタで「渋谷三大学落語会」に出演した。お陰様で笑いが起り、一矢報いた高座だった。

 

 平頭さんの判断は間違っていなかった。この年の秋。「全日本学生落語名人位決定戦」で決勝まで残った時のネタも「反対車」である。

 

 後に分かったのだが…。この時の、一次予選には、あの、今を時めく柳☓〇〇〇師匠、立☓〇〇〇師匠、が参加して予選落ちしているそうだ。

 とある番組で二人がそのことを話していたのを見た時。私は驚いて「身が震えた」(実は、向こうは一年生・私は三年生。勝ってもあまり威張れない)。

 

 とはいえ、平頭さんのお陰で、私は一生の自慢の種をもらった。

 

 平頭さんは、群馬県で普通のサラリーマンをしている。

 

 

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仕事で出会った落研の人達!

 私が新人放送作家だった、昭和62年。先輩の作家・Oさんの紹介で、新番組・ドラマの番組宣伝番組の仕事を頂いた。

 

 その番組は、あの「太陽に吠えろ」の後番組で、やはり刑事ドラマで「ジャングル」というタイトルだった。

 新人の俳優の紹介やメイキングの映像にナレーションをつける仕事だ。私が書いた初めてのナレーションだった様な気がする。

 

 局の女性プロデューサーに会うと、いきなり「あっ! 君! 話し方が落研だ! この番組のディレクターと同じ喋り方だもの!」

 私が落研出身なのは、作家のOさんが伝えていたらしい。そして、ディレクターも落研出身というのだ。

 

 後日、このディレクターと会うと「私は日大の落研だったんですよ」と言っていた。そこで「高座名は何だったんですか?」と聞いてみた。

 すると「泉家関西(いずみや かんさい)」と返って来た。私は、この泉家関西の名前に聞き覚えがあった。

 日テレの大会「学生落語名人位決定戦」で泉家関西と名乗る学生が桂枝雀師匠風の「宿替え」をやったのを観ていたからだ。

 「あの、テレビの学生落語の大会に出てましたよね?」

 「いや、違う! テレビに出たのは先代の関西です」

 

 会話はこれで終わってしまったが、放送業界に仲間がいるのが嬉しかった。あれ以来、このディレクターには会っていないし、本名も忘れてしまったが…。今も業界にいるのだろうか? 時々思い出す。

 

 フェイスブックを見ると、時々、泉家関西と名乗る方が主催する落語会の宣伝が載っている。この方は、やはり日大のOBなのだろうか?  

 

 春風亭一之輔師匠のラジオ番組「サンデーフリッカーズ」(JFN)のゲストに、とある女性歌手がやって来た。この方は、公表していないから放送では言えないが、学習院大の落研で目白亭〇〇だったそうだ。。

 しかし、公表しないと言うことは、事務所が「落研」はマイナスイメージと考えているのだろうか? 悔しいが、それも分かる気がする。

 

 落研から音楽の世界で活躍した例は、國學院「落語会」(落研とは別のクラブ)のさだまさしさんが有名だが、こちらは隠してはいない。

 自伝小説「ちゃんぽん食べたか!」には落研のことが書かれている。ちなみに、この本がNHKでドラマ化された時、さださんの役は菅田将暉さんが演じていた。菅田さんが落語をやるシーンが多く登場したのを憶えている。

 

 実はラジオ番組「サンデーフリッカーズ」のリスナーにも元・落研がいることが判明した。

 

 そして、サンフリのゲストには他にも落研OBが何度も登場している。

 劇団作演出の佐野バビ市(春日部高校落研・一之輔の後輩)、斉藤振一郎(日芸落研・元放送作家で野球場博士・編集者)、穴吹一朗(東海大落研・劇団主催・作・演出・脚本家)、名前は忘れましたが一之輔の日芸の先輩で、特殊なハト時計を開発した人、柳家わさび(日芸落研)、オオタスセリ東海大落研ピン芸人)、関西のフリーアナウンサー森たけし(青学・落研・火の見家はん生)、春風亭昇太東海大落研・本「城歩きのススメ」の紹介)等々。

 

 ゲストのローテーションの谷間は落研に限る! あっ! 昇太師匠は谷間ではありません! あっ! 森たけしさんも谷間ではありません! あっ!柳家わさびさんは……谷間です。

 

 元・落研と言えば、いつか、藤原紀香さんに来て欲しいものだ!  あっ! 紀香さんは……別の意味で谷間かも?!

 

 ブログも百本を大きく超えて、初めて下ネタが出ました! 末期症状だ! 

 

 

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学生落語の大会と東海大落研

 数年前。下北沢の「しもきたドーン」というライブハウスで行われる「学生落語の大会」で審査員を頼まれた。

 この会場は、私が名古屋でお世話になったテレビ局の元プロデューサーとフォークダンスDE成子坂の桶田敬太郎君が、手造りで作った小屋だ。

 

 演劇やお笑いライブの小屋だが、私のプロデュースで噺家の落語会も行っていた。予算が無いこともあって、二つ目の若手有望株にお願いした。

 独演会を開いたのは、桂宮治柳家わさび(当時・二つ目)、柳亭小痴楽(当時・二つ目)、春風亭昇也、春風亭昇々、瀧川鯉八(当時・二つ目)、桂三四郎一龍斎貞鏡林家つる子&母の親子会、桂竹千代、三遊亭わん丈、春風亭㐂いち。

 

 真打では、無理にお願いして、林家彦いち師匠(私が「ちりとてちん」を作ってレポートする「実験検証落語の会」)に出て頂いた。

 

 そして、今、毎月、鈴々舎馬るこ師匠が「まるらくご爆裂ド~ン」という、ネタおろし独演会を開催している(有料ネット視聴も可)。

 

 この会場で行われた「関東の学生落語の大会」を観ると、大学落研のレベルの高さに驚かされた。しかし、私が落研だった四十年前とは勢力図が大きく変わっていた。

 

 私の印象に残ったのは、一橋大、埼玉大、東大、といった国立。東大は昔からの老舗だが、一橋、埼玉大は初めて遭遇した落研だった。聞くと一橋は出来て間もないクラブ。埼玉大はOBにピン芸人・「♪東京タワ~に登っタワ~」でお馴染みの、寒空はだかがいるという。

 40年前。毎年、プロ級の達人を輩出していた早稲田の「寄席演芸研究会」の名がないのは意外だった。さらに、学習院明治学院、の老舗の名も無かった。

 聞くと、早稲田の寄席研は今はお笑いサークルと化してして、落語をやる者は居ないそうだ。

 

 他には、東京経済大、国際基督教大、法政大、青山学院、明治大、國學院大二松学舎大、等が目立っていた。

 

 三回程開催したと思うが、東海大の出場者は居なかった。私としては残念な話だ。出場者の選定は岐阜で全国大会を開いている方が担当していた。東海大はこの大会で活躍できなかったのだろうか?

 

 二年程前。またも、有力なOB・昇太師匠が言った。「うちの落研を見て来いよ!」。

 十五年ぶりぐらいだろうか? 私は東海大の文化祭へと足を運んだ。下北の大会に出ていなかったこともあり、何の期待もせず教室へと向かった。

 

 しかし、どこで落語会をやっているか分からない。今は外での呼び込みが禁止になっていた。目印になるハッピを着た1、2年生が居ないのだ。ポスターを頼りに会場へと入ると、まだ、開演前らしい。

 

 私が入ろうとすると、女子部員が私を制した「チョット、オジサン! まだ入っちゃダメです。外に出て!」。

 「すいません。OBなんですけど…」

 「えっ! そうなの!」

 チョット可愛いので、オジサンは許してしまった。男子だったら説教である。

 

 私の感覚だと、開演前の打ち合わせ中に入ろうとする人は、十中八九OBだ。多分、最近は知らないOBが訪ねることがないのだろう。命令で私が視察に来ているぐらいだから、当然である。

 

 私は黒板に二十期・三代目・馬好と書き記した。OBが来ると委員長がその方の名前を書くのが決まりなのだが、私の顔を知らないので自分で書くことにしたのだ。

 四年生の女の子がOB名簿を取り出して、急いで確認していた。みんな慌てている。

 

 学祭の寄席が始まると、テープの出囃子が流れた。昔は三味線は学生が弾いていたのだが、今は弾ける者が居ないそうだ。私は弾けなかったから偉そうなことは言えないが、切奴さん(昇太師匠)はじめ先輩達は各代に三味線担当がいて、有名な師匠の出囃子をリクエストすると、何でも弾いてくれた。当時は当たり前だと思っていたのだが、あれは凄いことだったのだ。

 寄席文字も書道に近い字体で、適当である。

 

 私は「褒める場所を探そう」と思った。落語は期待できないと思ったからだ。

 

 しかし、登場した二年生の女の子がいきなり衝撃だった。表情が豊かで仕草が的確で明るくて、上手い! 「なんだ!こいつ! プロみたいじゃね~か!」と言ったレベルなのだ。頭下位紫織(とうかいてい しおり)と名乗っていた。私は、うちの女子部員で、こんなに上手い娘を見たことが無い。はっきり言って化け物だ!「宿屋の富」を表情タップリで演じて、笑いを取っていた。

 

 続いて、やはり二年生・頭下位亭文世(とうかいてい あやせ)が登場した。「オジサン! 入らないで!」と言った彼女である。

 彼女は、いきなり、ニッコリと笑い感じが良い。小気味よく、これがまた…上手い!

 何だ!こいつら…。何をやったかは忘れました。ごめんなさい!

 

 主任(トリ)は二代目・頭下位亭黒塔(とうかいてい こくとう)と名乗る三年生の女の子。素人には難しい噺「くしゃみ講釈」を立て板に水で語っていた。会場に爆笑が起こっている。驚く程の本格派で入れ事がない。それなのに笑いが起るのだ。もし、今、私が一年生だったら憧れの先輩になるだろう。彼女は委員長(部長)だという。

 

 実はこの日。OBの二つ目・落語家がゲスト出演していたのだが、笑いの量は女子学生と同じぐらいだった。

 

 ちなみに、男子は…。とても、文章には書けない状態だった。

 

 この時の二年生は、今、四年生の筈だ。文世さんは今年、広瀬和生さんと鈴々舎馬るこ師匠が開催している学生落語の全国大会で決勝まで勝ち残っていた。

 

 東海落研は、今、女子主導の時代に突入したようだ。OBの皆さん、女子大生に「オジサン! 出て行って!」と言われるのでお気お付け下さい。

 

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國學院・落研先輩の元翁さん!

 昭和五十五年。私が東海大学落語研究部に入部した時。國學院大落研・四年生に三優亭右勝(さんゆうてい うかつ)という先輩がいた。これは、伝統の名前で落語の腕が確かな者しか継いでいない。

 

 この右勝さんは、今も若木家元翁(わかぎや がんおう)の名でアマとして高座に上がり続けている。学生時代は「渋谷三大学落語会」という共演会で東海大の切奴(きりど・現・昇太師匠)さんと共演ている。元翁さんは「唐茄子屋政談」切奴さんは主任で「寝床」だったと記憶している。

 

 先日、元翁さんからメールが届いた。「今年の、『元翁・彦柳の会』はコロナ渦の為、中止に致します」とのことだ(彦柳さんは青学・落研伝説のOB。元翁さんと同期)。

 この二人は、学生時代から現在まで毎年「二人会」を開いている素人落語の怪物だ。

 

 『元翁・彦柳の会』は毎年、浅草の木馬亭で開かれていた。アマチュアなので無料だが、会場は超満員の札止めとなる。

 会のゲストにコネでプロを呼ぶのが恒例で、過去に春風亭昇太柳家喬太郎春風亭柳好、といった師匠が出演したのを観たことがある。二人はポケットマネーでプロの出演料と三味線の師匠、太鼓の前座さんにギャラを出している。究極の道楽者なのだ。

 

 そして、驚くのは、この元翁・彦柳の二人が笑いをとることだ。

 

 昇太師匠がゲストに出た時の思い出がある。。客席に座ると前に座っていた大学生の男子二人の会話が聞こえて来た。

 

 「先輩は、落語観に行け!っていうけど、高くていけね~よな!」

 「そうなんだよ! こういうタダの会しかいけね~けど…素人だからヘタなんじゃねえ!」

 「でも、初めてのネタが分かるからいいんじゃねー?!」

 

 これは、明らかにどこかの大学落研の一年生。しかも、ダメ部員である。

 普通、まともの部員は食事を我慢してでも「プロの落語」を観に行くものだ。「週に一度が二度は観に行くのが、まともな落研なのだ」(私はダメな方で週一でした)。

 

 私は、このダメ落研二人に少し腹が立って来た。

 

 そこに登場した元翁さんは「球論」(きゅうろん)という落語「宗論」のパロディーを演じた。これは、かつて桂米助師匠が作った落語で、オヤジが巨人ファンなのに、息子が阪神ファンになって、親子喧嘩になるというものだ。

 

 パワーあふれる高座に、会場は大爆笑の渦となった。波のように笑いが押し寄せる、ビッグウェーブである。それを観た前の落研が言った。

 

 「まあまあ、面白くない?」

 「結構、観れるね! タダならもうけものじゃねえ?」

 「この「球論」って古典?」

 「そうじゃないの!」

 

 言動も知識も最低のレベルである。

 

 大爆笑の「球論」の後、ゲストの春風亭昇太師匠の登場である。前のダメ落研は言った。

 「次の人は期待できなくない?」

 「素人で二人面白いってなくねえ! ダメだよきっと!」

 

私「おおおおおお~!こいつら、春風亭昇太師匠を知らないのか!?いったいどこの大学だ? 東海大でないことを祈るばかりだ。

 

 昇太師匠は枕で散々笑わせた後で「壺算」に入った。

 私(心の声)「えっ! この人、本気だ!」

 

 「壺算」は昇太師匠が「芸術祭大賞」を受賞した時のネタの一つ。大阪の超メジャー噺家・B師匠が絶賛した一席である。

 

 アマチュアの元翁さんの大爆笑を観て、昇太さんは燃えたのだと思う。

 「この、人…。プロのプライドをかけて、素人を叩きつぶす気だ!」

 

 この「壺算」はビッグウェーブの上に、さらに波が重なる壊滅的な面白さだった。もう、誰が上がっても、これよりウケることはないだろう。

 

 すると、前のダメ落研が言った。

 「この人達、面白いんじゃね~の?」

 「けっこうやるね!」

 「来年もこようか!ダダだし!」 

 

 私は心の中で叫んだ!「ダメだこりゃ! 次行ってみよう~!」

 

 十年以上前のことだが、あのダメ落研の一年生は四年間クラブを続けられたのだろうか? 案外、噺家になっていたりして…。

 

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記憶に残るハガキ職人・メール職人!ラジオリスナー!

 春風亭一之輔のラジオ「サンデーフリッカーズ」(JFN)では、リスナーのメールを紹介している。実は、私はメールを紹介するラジオ番組は初めてである。

 

 私がラジオをメインにやっていた時代は、ファックスがやっと普及した頃。リスナーとのやりとりはハガキと決まっていた。

 

 当時の主なリスナーは「ハガキ職人」と呼ばれ、PN(ペンネーム)が付けられていた。現在は「ラジオネーム」と呼んでいる。

 

 ハガキ職人には思い出に残るペンネームがあるものだ。何故か覚えているのは、「セピアンローゼスのオールナイトニッポン」のハガキ職人オマーン国際空港」。

 「久本雅美オールナイトニッポン」の「ゲーム山村」等だ。

 

 今「サンデーフリッカーズ」では、「サイサイ佐々鬼」「桂べちょべちょ」「土手高子」「びわ湖のパンダ」「カフェ・ライミン」「んだっちゃだれ」「本能寺の恋」「夕べはオレが悪かった」(本人落ち込みにつき・追加)等が常連だ(他にも多すぎて思い出せません)。たしか「本能寺の恋」は、第一回目の放送で最初に読まれたリスナーだ。「サンフリ」放送十年は、この一通から始まったことになる。

 

 そんな色々なリスナーの中で思い出すのは「春風亭昇太のスーパーギャング」のハガキ職人「低気圧ボーイ」である。

 彼は独特の感性で毎週、面白いハガキを送り採用されていた。そして、ある日のハガキに「私は放送作家になりたいと思っています」と書かれていた。そこには、電話番号も書かれていたのだ。

 

 この頃。私が六本木の事務所「М商店」に行くと、師匠のМが例によって言った。

 

 「小林! 湯川も辞めたし!(ブログを遡って読んで下さい) 新しい弟子いないか?」

 

 またも、掟破りの弟子募集である。そこで、思い出したのが「低気圧ボーイ」のことだ。

 「ラジオのハガキ職人放送作家志望がいるんですが…」

 「おー! そいつ、連絡してみろ」

 

 連絡すると「低気圧ボーイ」は中央大学卒で立派な会社に勤めるまともな男だった。「本当に作家になりたいなら、一度、先生と会ってみる?」と聞くと、すぐに飛んできた。

 しかも、面接のつもりで呼んだのだが、彼は「もう、会社を辞めて来ました!」と言った。

 驚いたМ師匠は、即決で弟子にすることにした。

 

 彼は私について、毎週、最大手広告代理店の企画会議に出席することになった。彼はテレビ番組の企画に「ハガキで作品を募集する番組」を提出した。

 担当者も私も、「気持ちは分かるけど、ラジオじゃなくてテレビの新しい企画を考え来て」と伝えた。

 

 翌週。彼の出した企画は「テレビのスタジオにラジオブースを作って放送する」企画だった。一同「だからー!ラジオから離れて考えられないかなー?」

 すると、低気圧ボーイは叫んだ!「僕は、ラジオ以外やりたくないんです!」。

 

 彼は、翌週も翌々週も、、、一年間、ラジオの企画を出し続けた。本当にラジオにしか興味が無いというのだ。

 勿論、ラジオ専門の放送作家はいるが、たまにテレビに呼ばれれば対応するものだ。しかし、彼はかたくなに「生涯ハガキ職人」だったのだ。

 

 いつの間にか彼は「作家を辞めて、普通の仕事を探します」と言って事務所を去った。

  その後。とあるラジオ番組でペンネーム「低気圧ボーイ」のハガキが読まれていた。彼の一番ここちよい生活に戻った様だ。

 

 それ以来、私は「放送作家になりたい」と言う若者に出会うと、なるべく諦める様に説得している。本当になる奴は私が止めてもなるからだ。

 

 数年前。素人ながら面白い新作落語を書く男が大阪から私の話を聞きに来た。

 彼の作品はすでにプロの落語家が持ちネタにしている天才肌だ。

 

 実力は相当のものだが、国立大出身のエリートである。「低気圧ボーイ」のトラウマが脳裏をかすめた。

 

 私は放送作家の「マイナス面」ばかりプレゼンしてしまった。「趣味で落語作り」を続けた方が良いとの結論となり、彼は帰って行った。

 

 才能があるだけに、私の力など借りる必要は無いと思う。彼は大学落研出身で、自分でも落語をやる。学生で日本一。社会人落語でも日本一になっている。

 

 そろそろ、表舞台に出て来るかもしれないが、銀行員で歌手だった「小椋佳」さんの様に二足の草鞋でも良い様な気がする。

 

 

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「青春落語バカの楽しいエピソード」有名劇団の主催者や脚本家、演出家絶賛!

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