放送業界のお話と落研と私的な思い出(瞳尻・黒舟)

「嗚呼!青春の大根梁山泊~東海大学・僕と落研の物語」スピンオフ・エッセイ。放送関係。業界のエピソードと近所の出来事

ラジオ制作会社社長のМさんは凄かった!

 30数年前。某FМ局で「〇の穴」という番組の作家をしていたことがある。私の担当したのは、英語とスペイン語を操るDJ・〇〇オが生放送する二曜日だ(曜日ごとにパーソンナリティが違う)。

 

 この番組の制作会社の社長さんに見崎さんという方がいた。古き良き業界の匂いを残す方で、もはや死語となっていた業界用語を巧みに使っていた。

 パイナップルを「イナプルッパ」。信じられないを「ジラレナイシン」と言った伝説の人物である。

 

 見崎さんは、音楽の歴史に詳しく、時には番組のゲストとして音楽評論家的な蘊蓄を述べていた。社長なのにとても謙虚な性格で、いつも自虐的な面白話を披露してスタッフに愛されていた。

 

 私はスタッフに聞いてみた。

 「見崎さんは、何であんなに音楽に詳しいんですか?」

 「あの人は、元ミュージシャンなんだよ!」

 「えっ!」

 「ザ ラニアルズ のメンバーでデビュー時はかなり期待されたバンドだったんだよ」

 

 番組の飲み会の時。私は見崎さんに直接聞いてみた。

 「ザ ラニアルズ の時はどんな曲を歌ったんですか?」

 「フォークだよ! ああ、「ドボチョン一家」のテーマ歌ったの俺だよ」

 

 ななな~何~? 「ドボチョン一家」は、私が子供の頃放送されていた海外アニメ。一家が全員化け物という「アダムスファミリー」の元祖みたいなアニメだ。

 ♪ドボチョン!ドロドロ~! という唄い出しは今でも頭に残っている。私が「あの♪ドボチョン!ドロドロ~! ですか?」と聞くと、そう、♪ドボチョン!ドロドロ~! とアカペラで唄ってくれた。

 

 子供の頃、聞いた曲の歌手と仕事場で逢うとは? 業界とはいえあまりあることではない。見崎さんは言った。

 「小林くん、田舎はどこ?」

 「静岡の磐田です」

 「おっ! 俺も静岡! 藤枝だよ!」

 「ええ~!」

 

 見崎さんは静岡の進学校藤枝東高校(サッカーでお馴染み・ゴン中山の母校)の出身だった。

 

 しかも、デビュー2曲目は吉田拓郎さんの「恋の歌」をシングルで出しているそうだ。

 

 他のスタッフに聞いたのだが、ミュージシャンを辞めた後は、山本コータローとウイークエンドのマネージャーで、「岬巡り」のリコーダーを吹いていたそうだ。

 「岬巡り」の最も耳に残るリコーダーの音は見崎さんの演奏だったのだ。

 凄すぎる! もはや、マネージャーと言うよりメンバーである。

 

 そんな見崎さんは、ラジオ制作会社の社長となり、この番組の他にも、坂崎幸之助さんの深夜放送も担当していた。こちらは、出演もして、リスナーに人気となっていた。

 

 坂崎さんと見崎さんはミュージション仲間だったのだ。坂崎さんが「見崎さんは楽器の演奏がやたらと上手い」と言っていたのを聞いたことがある。あの坂崎さんが「上手い」と言うのなら、日本ではトップレベルのプレーヤーと言うことに成る。

 

 その後。見崎さんの制作会社は解散したと知らされた。そこからは疎遠になってしまった。

 

 「〇の穴」から30年程だった頃。テレビを見ていると、なぎら健壱さんが街を訪ねる番組で原宿を歩いていた。そして『「ペニーレイン」行ってみようかな! 懐かしいな~!』などと言ってる。

 

 「ペニーレイン」は吉田拓郎さんの唄「ペニーレインでバーボンを」に歌われているミュージシャン伝説の残るオシャレなお店である。

 

 なぎらさんがお店に入ると「おおおお~! 何? 何でいるの?」と叫んでいる。

 中にカメラが入ると、マスターは、あの見崎さんだった。

 私もテレビに向かって叫んだ!「おおおおお~!」

 

 これは、行くしかない!

 私は数日後。原宿「ペニーレイン」を訪ねた。一階のカウンターに見崎さんが居た。

 「おお~!小林ちゃん!元気?」

 「なぎらさんのテレビ見て来たんですよ!」

 「ああ、そう! 何飲む?」

 

 お店の場所は以前とは移動していたが、雰囲気は伝説の店そのままである。私は、「四十才からギターを始めたんですが…十年以上やっても上手くならないんです」と言ってみた。

 

 見崎さんは、二階からギターを持って来て「じゃあ、これ、弾いてみて!」

 見るとアンティークのギブソンのアコギである。「この前、買ったんだけど、音まあまあいいよ!」

 

 弾くと確かに音が良い。私は弾けないが無理やり吉田拓郎の「リンゴ」を弾いてみた。

 「どうやって弾くかわかんないんですが、こんな感じですよね!」

 「ああ、そう! だいたいね! 大体でいいですよ! これ、石川鷹彦さんの演奏だから、プロも弾けないから」

 「そうだったんですか?」

 

 私が他の簡単そうな曲の弾き方を聞くと「いいんだよ!そんなもんで! 上手い!」全然教えてくれない。

 「岬巡り」弾きますから(コード見ないと弾けないが)、リコーダーお願いできないですか?」

 「いや! 今、リコーダーないのよ! あんなの持って歩いてる大人いないでしょ!」

 確かに、その通り! いつも持っているのは昔の小学生ぐらいである。おしくも、夢の共演は果たせなかった。

 

 最近の事だが、四十年以上前に静岡県嬬恋で開かれた「吉田拓郎かぐや姫」の野外コンサートのDVDを買ってみた。

 確か、中学生の頃。朝礼で校長先生が「あんな不良の集まるコンサートは出入り禁止です」と言ったのを思い出す。つま恋掛川市。私の住んでいた磐田市から国鉄で二駅の場所だった。

 

 その思い出を感じながら、DVDを見ると…。客に不良っぽい人は居ないし、健全そのものだし、拓郎さんの熱量が凄い!

 あまりの感動に、フェースブックで繋がっている見崎さんにメッセージをしてみた。このイベントに山本コータローさんも少し出ていたらしいことが分かったからだ。見崎さんがリコーダーを吹いたかもしれない。

 

 すると、返事が来た。

 「私、演奏はしていませんが、スタッフとして行ってました!」

 

 やはり、見崎さんは現場の空気を知っていたのだ。

 

 私はユーチューブで「岬巡り」とザ ラニアルズの曲を聞きながら、このコラムを書いている。拓郎さんが作った「恋の歌」も聞くことが出来た。「ドボチョン一家」も探してみよう。

 

 見崎さんは、今、何をしているのだろうか?

 

 

 

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OB命令下る!東海落研を視察してこい!

 二十年以上前のことだが、東海大落研OBで飲んでいると、春風亭昇太師匠が言った。

 「今、うちの落研なんか、潰れそうなんだろう!お前、チョット見て来いよ!」

 

 昔から、この手の現場仕事は、いつも私である。このパターンは四十年間変わっていない。

 

 私は「しかたなく」いや!後輩たちの為に、四年生最後の高座「年忘れ落語会」を視察しに行った。学生のホール落語を観るのは十年ぶりぐらいだったと思う。

 

 当然、何の期待もせず客席に腰を下ろした。落研なのだから細かいことは目をつぶって、どこか褒めるところを見つけて帰ろうと思っていた。

 

 その時。高座に現れたのは二年生だった。「年忘れ落語会」は四年生追い出しの会。二年生が出演することは異例である。多分、部員が居なくて選ばれたのだろう?

 

 そう思って見ていると、登場した頭下位亭豊粋(とうかいてい ほうすい)君の手の形を見て驚いた!

 何と! 不自然に片方の手だけ曲がっている。これは、立川談志師匠がヒザに手を置く、あの形である。

 「そんなところ、コピーしてどうする!」これは、ヘタクソの匂いがするぞ!!

 

 豊粋君は「黄金の大黒」を始めた。すると、また、驚いた。手が談志師匠なのに、口調もネタも談志師匠ではなかった。

 しかも、テンポが良く、仕草も綺麗。客にも良くウケている。はっきり言って学生としては満点である。彼は、二年生ながら実力で出演していた様だ。

 

 次にフケた三年生が出て来た。頭下位亭窓蝶(そうちょう)という男だ。

 チョット陰気な感じで「蜘蛛駕籠」に入ったが…。あれ? こいつ、上手いぞ!

 それも、上手すぎる! すでにプロの二つ目みたいな落語なのだ。仕草も良く、踊りでもやっている様な手の動きをする。なんだ!こいつ!

 

 潰れそうな筈のクラブが、いつの間にか復活していたのだ。はっきり言って、私の学生時代より、数段上手い。「褒める場所を見つける」どころか、私が落ち込んでしまった。

 

 気を取り直して、次の演者だ!(もう、逆にヘタを望んでいる) 今度は四年生の女性・頭下位亭志乃(しの)さん。女性の部員は、過去の例からしてあまりウケる人は居ない。無理して「褒める場所を見つける」のに最適だ。

 

 やったのは「茶の湯」(当人から指摘あり。本当は「品川心中」だったそうです)。女子学生には難しい噺では?と思って見ていると…。明るくて、声が大きく、好感が持てる。

 客席から笑いも起こっていた。私の知っている女性部員とは違う生き生きとした高座だった。

 

 「なんだ! こいつら! チャントしてるじゃね~か! 俺に小言の一つも言わせろ!」私はもはや落語「かんしゃく」のご主人の様な気持ちである。

 

 主任(トリ)の四年生が出て来た。二代目・頭下位亭銀太(ぎんた)だった。彼は、学内でも人気があるらしく、客の拍手が力強く、登場で声がかかっていた。

 しかも、やったのはオリジナルの新作。温泉で殺人事件が起こり探偵が解決するミステリーだ。

 

 しかも、客がガンガン!と笑っている。

 

 私は思った。「学生のみんな!もう、自由にやっていいよ!OBなんか気にせずに!」

 もう少しヘタでないとOBは言うことが無く、ガッカリするという逆転現象である。

 

 ちなみに、この時。最初に出て「黄金の大黒」やった豊粋君は、現在の春風亭柳若さん。後に「学生時代何で談志師匠の手をマネしてたの?」と聞いたら「えっ!そうでしたか?覚えてません!」と言っていた。あれは、無意識だったのだろうか? 今も謎のままである。

 

 「蜘蛛駕籠」が上手すぎた窓蝶君は、落語協会のある師匠の弟子となり、しくじって破門になった。彼は、学生ながらプロについて三味線を習う程の芸事好き。チョットもったいない気もするが、破門では自業自得である。

 

 「品川心中」をやった女性・志乃さんは、今、主婦をしながらアマチュア落語家として活躍しているそうだ。

 

 そして、創作落語を披露した二代目・銀太君は、現在の古今亭今輔師匠である。

 

 私は「大工調べ」の与太郎の様な気持ちだ。

 「みんなこんなに、立派になって、どうもおめでとう!」

 

 

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落研の後輩・湯川君!(初代・五十歩)

東海大学落語研究部の七年後輩に、頭下位亭五十歩(とうかいてい ごじゅっぽ・湯川)と言う男が居た。

 

 彼は細身のいい男で、初めて見た時の印象は、俳優の篠田三郎さんの様だった。彼は同期の兵枝(ひょうし・脚本家の穴吹一朗)と一緒に学生劇団を立ち上げた中心人物だ。

 兵枝と一緒に、テレビで素人コントを披露したり、深夜テレビの学生落語の大会で優勝したりと、アマチュアとしては華々しい学生生活を送っていた。

 

 私が放送作家として、やっと、まともなお金が取れるようになった頃のことだ。

 師匠のМが「小林!誰かうちの事務所に入る新人はいないか?」

 

 うちの事務所は志願の弟子入りではなく、師匠の事情で求人するという異端のシステムをとっていた。

 そこで、私は「後輩に、劇団を立ち上げた湯川という男が居るんですが…」

 「おお!いいな!そいつ、呼べ!」

 

 この一言で決まってしまった。私は湯川君にダメ元で電話したのだが、返事は意外にも「やります!」だった。

 

 湯川君は、いきなり新人作家として私の名古屋の番組に付いて来る様になった。

 その番組の会議で、私と湯川君が即興コントをやったことがある。私はアドリブが得意ではないが、頭の中にある流れを湯川君にぶつけると、内容も知らないのに絶妙な演技で笑いを取ってくる。

 会議室が爆笑になってしまった。「こいつ、才能が凄いな!」これが、私の感想である。

 

 会議の後。作家数人と湯川君を連れて飲みに行った時。そこには、番組に出演した人気ロックバンド・OのドラムKさんも居た。彼は、この番組の女性作家Aと仲が良く飲み友達なのだ。

 バーで飲んで居ると、Kさんが湯川君が元落研と聞いて「やってみろよ!」と言い出した。

 

 これは、かなり可哀そうな展開である。酔っ払いの前で落語などウケる訳がない。

 

 湯川君は「じゃあ、やります!」と言うと、バーのカウンターに正座して落語を始めた。しかも、自作の新作落語「マシーン稲荷」という一席だった。これは、テレビ番組で優勝した時、審査員の立川談四楼師匠に褒められた演目である。

 

 最初はKさんも「やるなら見てやるか」的な感じだったのだが、五分程すると身を乗り出した。そして、「がははは~!」と手を叩いて喜んでいる。

 

 湯川君が落ちを言うと「お前、うまいな~!よかったよ!」絶賛である。

 

 私は彼の潜在能力と度胸に驚いた。

 

 そこで、一度、ラジオの原稿を一部書かせてみることにした。原稿を見ると、そのまま放送出来るレベルのものだったので、私は師匠のМに報告した。

 「湯川に台本書かせたんですが、ラジオの進行台本なら書けますよ!」

 「そうか!」

 

 その直後。先輩作家Oの紹介で、湯川君に超メジャーラジオ局の番組の担当が決まった。入って一年もたっていない。

 まともな仕事が入るまで四年もかかった私とはえらい違いである。奴は才能も運もある様だ。

 

 ところが、一週間後。驚きの報告があった。

 М師匠「湯川の奴、新番組の一回目の放送行かなくてクビになったぞ!」

 私「えええ~!そんなことあるんですか?」

 

 聞くと、収録の一回目の前日。落研の後輩と飲み過ぎて起きられなかったという。しかも、台本も届けていない。これはクビになっても仕方がない行為だ。

 

 それにしても、何ともモッタイナイ話だ。「才能」も「運」もあるのに酒に飲まれてしまったのだ。

 

 湯川君は事務所から居なくなった。

 

 今は普通のサラリーマンとして立派に勤めている。今思うと、彼はそれが正解だったような気もする。

 

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意外な仕事!「まさかのパチンコ番組」

  私はパチンコをあまりやらない。二十代の頃、朝一で並ぶと打ち止め出来るパチスロに並んで生活をしたことがあるが(当時、近所の店が朝一は必ず出る設定がされていた。後に営業停止。違法だったかも)…。あまり熱くなった記憶はない。

 

 当然、パチンコの釘も読めないし、打ち方も分からない。
 そんな私に、突然! パチンコ番組の依頼が有った。どこから、どうやって私の所に来たのが記憶にないが…。二十年以上前、CSでパチンコ専用チャンネルが出来た時。何本も担当していた。

 

 覚えているものを上げと「ビキニDEパチンコ」これは、イジリー岡田さん司会で、パチンコが出ないとグラビアアイドルが一枚ずつ脱ぐと言う企画。まったく出ないとビキニになってエッチな罰ゲームを受ける。

 

 あと「英語でパチンコ」「フランス語でパチンコ」司会が英語、フランス語を教えながらパチンコをするコンセプトがブレブレな番組。

 

 さらに「パチスロ・オール設定バトル」。当時、パチスロの中には六(五?)段階の確立設定スイッチがあった。設定を知らずにプロが一日中打つとどうなるかを検証する番組。

 この番組のお陰で、設定1~2はトップ誌上プロが打っても負けることが分かった(多分、現在の台に設定は無いと思うが)。

 

 中には「TV・キングダム」。イジリー岡田司会で、どこかの街の情報を毎週お届けするという、もはや、パチンコ関係なしの番組もあった。パチンコ専門チャンネルで、よく企画が通ったものである。

 

 また、パチンコ屋さんの社員だけが見る有料テレビ局が放送した「パチンコ情報ステーション」といいう番組も担当したことがある。

 この番組は視聴者がパチンコ業者さんだけなので、情報がマアックだった。

 

 パチンコの景品に最適なオシャレグッズの「通販コーナー」があったり。パチンコ店専用の「警備会社のガードマン」の紹介。

 これは、元大学の格闘技系クラブのOBばかり所属する会社で、警備員が背広の紳士で、いざとなれば、どんなお客にも対応するという。

 

 さらに、夜中に店に忍び込んで「裏ロムを付ける闇業者の手口紹介」や「裏ロムが付いていないか検査する会社の紹介」など、大変勉強になってしまった。

 

 そんなある日。CSのパチンコ番組をやっていたプロデューサーの紹介で、名古屋のCBCで放送されていた「パチンコNOW2」をやることになった。この番組はテレビ神奈川などでも放送されていた。

 

 ついに、地上波のパチンコ番組まで依頼が来てしまった。

 

 この番組は、導入前の新台を紹介するのがメインなので、機種ごとのスペックを毎回勉強することとなった。

 中でも驚いたのは、デジタル・パチンコの仕組みである。デジタルの「大当たり」は、玉がスタートチャッカーに入った瞬間に決定される。
 つまり、リーチアクションは後付けで演出しているだけなのだ。この演出の映像の良しあしが人気を左右するのだそうだ。
 
 この番組で、パチンコを製作するエンジニアを取材したことがある。


 この方は、国立大の工学部出身でアマチュア芸人としてコントもやっていた人物。
 基盤のプログラミングから、映像、音楽まで自作で作っているというのだ。

 

 開発の部屋にはエレキギターやキーボードがあり、開発者と言うよりアーティストといった感じだった。

 予算のある会社は、パチンコのキャラクターに「ウルトラマン」や「ルパン三世」「天才!バカボン」といったキャラクターを使用して台を作るのだが、彼の担当は予算を抑えた新台の開発。

 そこで、開発者本人の人影をオープニング画面に使ったり、著作権の発生しない自作のBGМを本人の演奏で使用したりしているのだ。
 この台には、派手なアニメや演出はないが、開発者の拘りと、手作りの良さが伝わってくる。個人的に応援したくなる一台だった。

 

 私は、この台が発売されてすぐ近所のパチンコ店で打ってみた。開発秘話を知っている為、音楽や登場する人影が全て魅力的に思えた。
 パチンコ台は「芸術作品」と同じ。作者の感性が表現されているものだと初めて知った。

 

 私は、それ以来。美術館へ行くのと同じ目でパチンコ台を見ている。

 

 実際にプレイすることはまず無いが、台を見ていると、それだけで楽しいのだ。

 

 いつか、現代美術館にパチンコが展示される日が来て欲しい。そんな思いで一杯だ。

 

 

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東海大落研の伝統は「教えない」とハマリ!

 昭和55年。東海大学落語研究部に入部した私は、先輩達の自己紹介に驚いた。

 大学院に通う先輩が何人も居たからだ。確かにみんな頭の良さそうな顔をしていた(している様に見えた)。

 

 このクラブは優秀な先輩達が多いのだと感心したものである。

 

 しかし、これは全て嘘っぱち。「大学院」の先輩は留年した6年生や遊びに来たOBだったのだ。OBの中には「浪人の長かった一年生」と偽って、1年生として新しい高座名までつけてもらって、1年生がタメ口で仲良くしていると、1か月後にOBだと発表され、一同土下座することになる。

 

素直な田舎者の一年生は、特に騙しやすく先輩のターゲットになっていた。

 

 落研がたむろする喫茶店「マキ」で、当時、失業保険で暮らしていた大OBの頭下位亭楽陳(とうかいてい らくちん)さんが言った。

 「今年のプロ野球の優勝予想やるぞ! みんな、書き込め!」

 

 優勝を当てるゲームである。部員は、巨人、阪神、ヤクルト、と好きな球団を書き込んでいた。そこで、楽陳さんが一年生の女子の夜来人(ヤクルト)に「君はどこが優勝だと思う?」と聞いた。すると、彼女は「法政!」と答えた。

 彼女は長野県の女子高出身でとにかく真面目で世間をまるで知らない。なんでも、甲子園で活躍した木戸という選手のファンで、今、法政大学で活躍していると言うのだ。

 

 ここで、普通なら「これは、プロ野球の話だよ!」と教えてあげるのだが、そこは「教えない」のが基本の東海。

 楽陳さんは「そうか、案外、法政の優勝あるかもな~!」と言ってみんなで笑っていた。

 夜来人さんはキョトンとしていたが、あまり把握していないようで、法政の木戸選手がいかにカッコいいか話し出した。楽陳さんは嬉しそうに話を合わせていたし、まわりの先輩も一切本当の事は教えなかった。

 これはクラブでは「ハマリ」と言い、自分で気づくまで誰も何も言ってくれないのだ。

 

 この女子は、野球の結果が出る前の秋に退部したので、「ハマリ」に気づくことは無かった。

 

 毎年夏に、東海大落研は群馬の「榛名山荘」(大学所有)で合宿をしていた。高崎駅で降りてバスで合宿所に向かう前のお昼。駅前のレストランで昼食をとるのが決まりだった。

 先輩は、1年生に「何食べる?」とメニューを渡す。この場合、田舎者の一年生は何故かカレーを頼む者が多かった。

 これは、先輩達の「ハマリ」のフリである。一年生が注文した後。

 

 「いえ~い! ひっかかった~! 合宿初日の夕食はカレーなんだぞ! いえ~い!

 実は私もカレーを頼んでいた。聞くと、毎年カレーを頼んだ1年は「ハマリ」となるのが伝統なのだそうだ。

 

 クラブのOBを集めての落語会の打ち上げで、1年生の男・我裸門(ガラモン)が飲み過ぎで両脇を抱えられて歩いていた。

 

 私は危険なものを感じて「あいつ、危ないですよ! 大丈夫ですかね?」と、先輩に聞いた。すると、横に居たOBが顔と目を見て「大丈夫!寝れば治る」と言って去って行った。

 無責任な判断に見えた私は、すこし腹が立って「大丈夫じゃないですよ!」と言ってしまった。

 

 すると、三年生の二十八号さんが怒った口調で「余計なこというな! 満兵衛(まんべい)さんが、大丈夫って言うなら大丈夫なんだよ!」と叫んだ。

 

 私は納得が行かなかったのだが、後で聞くと、あのOBはドクター・満兵衛と呼ばれる、医学部卒・現役医師の先輩だったことが分かった。

 それなら「医者だと」教えてくれれば良いのに、教えずに泳がすのが東海なのだ。

 

 さらに、話は変わるが…。

 私が英語の試験の前で、英文の訳が何もわからず、喫茶店の「マキ」で悩んでいると、マキのオバチャンが言った。

 「あら、黒舟さん、英語は言葉なんだからあきらめずにやれば、きっと分かるわよ!」

 「オバチャンは、英語の事わからないからそう言うんだよ!」

 「あら、私、黒舟さんよりは英語得意かもよ!」

 「またまた~!」

 

 数か月後。喫茶「マキ」のオバチャンは、昔、高校の英語教師だったことが判明した。それなら「元、教師」と言ってくれれば良いのに!

 喫茶店のオバチャンまで「教えない精神」は同じだった様だ。

 

 ちなみに、その時の英語は奇跡的に単位がとれた。丸暗記の訳の山が当たったのだ。確かにあきらめずにやれば、うまく行った。「オバチャン! ありがとう!」

 

 

落研のカメレオンマン!同期の切笑君!

 昭和55年入学。東海大学落語研究部の同期に頭下位亭切笑(とうかいてい せっしょう)と言う男がいた。この、「切」る「笑」いとは、落研にはチョット縁起でもない名前である。

 

 「切」の字は切奴(きりど・現・春風亭昇太師匠)の「切」。つまり、切奴さんがつけた名前である。

 

 切笑君は、草刈正雄さんの「ものまね」が持ちネタで、よくやっていたが、それは、テレビでプロがやっている「ものまね」の「ものまね」で、オリジナリティが無かった。

 

 彼は長期の休みに地方の旅館で住み込みのバイトをしたことがある。

 

 バイトが終わり部室に現れた切笑君に我々は驚いた!

 突然、激しい訛りになっているのだ。

 

 彼は埼玉県出身で、あまり訛りはなかった。どちらかと言うと、都会的な話し方をしていた。それが、突然、激しい栃木弁になっていた。

 

 我々が「何で訛ってるんだよ?」と聞くと、本人は驚いて…

 (訛って)「何いってるの↑ 訛って↑ないですよ↑」と、訛って帰って来たことにすら気づいていない。

 

 一同大笑いしながら「めちゃくちゃ訛ってるよ!」と言うと…

 (訛って)「えつ!昔から↑私は↑この喋り方↑ですよ↑」

 

 訛りに加えて、旅館でバイトしたので言葉も丁寧になっていた。

 

 彼の訛りは1か月程続いたが、いつの間にか元にもどっていた。

 

 切笑君は、新しい環境にすぐ溶け込む人だ。友達が変わると言葉使いが変わることも多かった。

 

 そんな彼の落語はスムーズに話すのだが、2年まであまりウケてはいなかった。

 

 3年の春。切笑君は青学・国学・東海が共演する「渋谷三大学落語会」の出し物に「金明竹」(きんめいちく)を選んだ。

 本番前に学内の寄席で初披露したのだが、突然、大爆笑の高座となった。

 

 その演じ方は、別人格だった。彼は、青山学院の当時・爆笑王だった先輩・免亭回丈(めんてい かいじょう)さんの落語の口調やキャラ設定をコピーして演じていたのだ。回丈さんはデフォルメした与太郎で東京の学生落語では有名な存在だった。

 切笑君は、その口調をそのままマネしていたのだ。

 

 完コピと知らないOBが叫んだ! 「あいつ、化けたぞ! 馬鹿おもだ!」

 

 生涯で一番の爆笑をとった切笑君だが、一か月後。同じ噺がまったくウケなくなっていた。本人に「何で、ウケた時と同じにやらないの?」と聞くと「えっ!同じようにやってるよ!何でうけなくなったのか分からないよ」とこと。

 回りから観れは、あきらかにメリハリもデフォルメも無くなっているのに、本人は気づいていないのだ。

 

 切笑君はカメレオンの様に人のマネが人格に入り込んでしまう人だ。ところが、またすぐに他のキャラに洗脳されてしまう。あの爆笑の高座の時は、直前に青学の回丈さんの落語を観たばかりだったらしい。

 そんな能力があるのなら、志ん朝師匠や談志師匠をコピーすればいいのに、彼は何故かアマチュアをコピーしてしまったのだ。

 東海落研でプロのコピーをすると、OBの評判が良くないの見越していたのかもしれない。

 

 彼はその後、大手レストランでバイトを始めた。すると、日常会話もレストランの喋りとなり「私としましては、次の公演は誠心誠意、演じる所存です」等と、学生とは思えない会話になっている。

 「お前、なんだ! その話し方は?」

 「わたくし、以前と変わりませんよ!からかわれては困ります! 先輩!こちらへどうぞ!」

 

 部室のみんなが言った。「ダメダコリャ!」

 

 しかし、切笑君が海外で暮らしたら、すぐに言葉を憶えることだろう。留学できる家に生まれたら、語学の天才になっていたかも知れない。

 

 ただ、問題なのは外国語に順応しすぎて、日本語を忘れそうだ。

 

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