放送業界のお話と落研と私的な思い出(瞳尻・黒舟)

「嗚呼!青春の大根梁山泊~東海大学・僕と落研の物語」スピンオフ・エッセイ。放送関係。業界のエピソードと近所の出来事

ラジオに「親バカ青春白書」の脚本家・穴吹一朗さんが登場!

 東海大落研OBの頭下位亭兵枝(27期・とうかいてい ひょうし)、こと、脚本家・穴吹一朗君がラジオにゲストとして登場することになりました。

 

8月30日(日)朝6時から生放送。「サンデーフリッカーズ」(JFN)。放送は民放FМの、青森、秋田、栃木、長野、岐阜(多分…)。オーディーというアプリなら無料で聴けるそうです。

 

 7時5分からのコーナー「一之輔のそこが知りたい」に電話で生出演します。

穴吹君の落研時代に始めた劇団のことや、今、放送中の「親バカ青春日記」(NTV)について、伺います。

 

 そこで、穴吹君のが1年生に入って来た時の思い出を…。

 

 穴吹君は私より7つも下の後輩ですが、1年としてはしっかりと先輩と話せる余裕のある男でした。

 彼は確か、中学時代か小学校時代にアイドルの南野陽子さんと同じ学校だったと言っていたと思います。

 

 野球がとても上手く、外野の大飛球を全力で追いついて補給したり。外野からノーバウンドでランナーを刺したりと、驚く程の身体能力を持っていました。高校では相当な選手だったのでしょう。

 

 そんな兵枝君は、東海大落研では少数派の上方落語をやっていました。1年ながら、流暢な落語を話していた記憶があります。

 

 彼の入った頃。落研は潰れそうなクラブでした。2~3年で廃部とも言われていた時期。

 その逆境を跳ね返すかのように、同期の五十歩(ごじゅっぽ)君と組み、お笑いライブに挑戦したり、テレビの素人番組でも活躍していた様です。

 

 彼は、五十歩君に誘われて、落研と並行して劇団を立ち上げました。雑誌「ぴあ」に劇団員募集の広告を載せたと聞きます。

 その時の劇団には、後輩の芋助(現・古今亭今輔師匠)、二代目・五十歩(現・春風亭柳若)、素人時代のロケット団が在籍していました。

 

 お陰で、クラブは立て直されました。同期の五十歩君はテレビ朝日の深夜番組の学生落語の大会で優勝。審査員の立川談四楼師匠が褒めてくれたのを憶えています。

 

 兵枝君は、卒業しても劇団を続けました。一時期は就職しながら芝居をしていた筈です…。

 

 そんな、ある日。オリジナルの芝居が「神様ヘルプ!」として映画化されます。

 彼は何か運を持っているのでしょう。たまたま芝居を観た監督の目に止まり映画化されたと聞きます。この映画には、今を時めく賀来賢人さんも出演しています。

 

 それ以来、脚本家としての活躍は目を見張るものがあります。

 

 大河ドラマ軍師官兵衛」では脚本協力で参加。このドラマには先輩の春風亭昇太師匠が足軽役で大河初出演をしていました。偶然とはいえ縁を感じた瞬間です。

 

 現在、放送中の「親バカ青春白書」(NTV)日曜夜10時30分。皆さん、是非ご覧ください。

 

 今日はコラムではなく、全面的に宣伝です。

 

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「早稲田の寄席研・伊達家酔狂と言う先輩」

  私が学生の頃。早稲田大学落研(寄席演芸研究会)に、伊達家酔狂(だてや すいきょう)という上方落語のスターがいた。この人は、私の二年上で、東海大学で言えば頭下位亭切奴(とうかいてい きりど 現・春風亭昇太)さんと同期となる。
 
 学生時代、直接面識はないが、この方はテレビでよく見る凄い人。

 当時、日本テレビの人気番組「お笑いスター誕生」に落語で勝ち抜いたただ一人の男である。

 プロの漫才やコントに交じって、素人落語で勝ち抜くのは大変なことである。この番組では、現在の桂竹丸師匠(駒沢大・花駒)さんも勝ち抜いていたが、ネタは立ちの漫談だった。後のタージン桃山学院)も、やはり漫談。

 

 この酔狂さんの上方落語は綺麗で繊細。素人の面白い人と言うより、プロの芸に近い本格派だった。

 日本テレビの特番「第四回全日本学生落語名人位決定戦」で「代書屋」を演じて名人(優勝)に輝いていた。

 

 この第四回の大会に、東海大学から参加する者は居なかった。三年生が女性一人、二年生が私を含む男四人だったが、誰も怖くて予選に参加などできなかったのだ。
 なにせ、ウケないやつらばかりだったからだ。

 

 放送後、私は四年の切奴さんに怒られた。「負けてもいいから闘ってこい!」。
 (「嗚呼!青春の大根梁山泊東海大学・僕と落研の物語~」完全版・note版に記されている)

 

 私が放送作家になって三十年程たった時。仲の良い放送作家・下村稔さんより電話があった。
 「今度、高校の同級生と飲むんだけど、そいつの同僚が元・落研なんだって! 小林ちゃんも来ない?」
 「僕の時代の人ですか?」

 「早稲田の伊達家酔狂って名で「お笑いスタ誕」出てたって!」

 

 完全に、あの酔狂さんである。私は「第五回の全日本学生落語名人位決定戦」に出た時、昨年の名人が「名人杯返還」に来ていて、その時、すれちがったが会話はしていない。憧れの目で見ていただけだ。初めて話せるのである。

 

 酔狂さんは地味なオジサンになっていた。無口で真面目で、高座以外でははじけない性格のようだ。


 初めは「昔の話はしたくないな~!」と言っていた様だが、飲んでいるうちに盛り上がり。二次会のカラオケで始発まで飲んでしまった。

 

 聞くと、学生時代、プロになる気はまったくなく、テレビの制作会社に内定していたが、親に反対されて普通の会社員となったそうだ。

 

 酔った酔狂さんはボソっと言った。「東海大って言えば、昇太さん、会いたいな~!」


 私は酔いに任せて、携帯で昇太さんに電話して酔狂さんに渡した。酔狂さんは嬉しそうにニコニコして話していた。

 どんな話をしていたかは分からないが、昇太さんは「何でお前といるの?」と驚いていた。

 

 それから、二年程たったある日。先輩の放送作家佐藤かんじ(初代・甘奈豆)さんが言った。
 「この後、時間ある? 竹丸が昔の落研の仲間集めて飲んでるんだよ!」
「面白そうですね! 行きます!」

 

新宿・末広亭近くの地下のお店に入ると、竹丸さん、柳家一九さん、青学の三語笑(当時・ラジオ沖縄の社長)さん、フリー・アナの牧原俊幸(早稲田の月見亭うどん)さんが居た。牧原さんは伊達家酔狂さんの同期。


 私は「牧原さん、この前、伊達家酔狂さんとお会いしました」と伝えた。


 すると、牧原さんの隣に、地味なオジサンが居た。よく見ると酔狂さんだった。

 居るのに私が気づくまで黙っていたのだ。
 「あっ! 本人が居るんですね! すいません!」

 私は恐縮してしまった。「もうすでにお爺さんでした」等と言わなくて良かった。 

 

 この日も、酔狂さんは自分では話さず、みんなのバカ話を嬉しそうに聞いていた。

 

 酔狂さんが帰った後、昇太さんが合流したのでニアミスとなったが、飲み会は大いに盛り上がった。

 

 OBになって、このメンバーと飲めるなんて夢の様だ。タイムマシンがあったら十九才の自分に教えてあげたいと思った。

 「お前も、それなりのOBになれるよ! 頑張れ!」と言い残して、デロリアンで空に飛び立つ。そんな光景が浮かぶほど、泥酔していた。

 

 竹丸師匠、素敵なセッティング、ありがとうございました。

 

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中学時代「小さな恋のメロディ」の衝撃と談志師匠!

 中学二年の頃だと思う。土曜日に母方のお婆ちゃんの家に遊びに行った時。テレビで映画「小さな恋のメロディ」を見た。

 映画好きのオジサンが見ているのを親戚中でなんとなく見ていた。この映画は日本の封切からは五年程たっていたが、映画にうとい私には「初めて聞くタイトル」の映画だった。

 

 真剣に見ているのはオジサンだけで、婆さんやオバサンは世間話をして笑っている。

 

 その画面にヒロインのトレーシー・ハイドが踊るシーンが映った。真面目な少年のマークレスターが恋に落ちる場面だ。

 何故か私も釘付けになってしまった。映画に入り過ぎて、いつの間にか、私がマークレスターになってしまったのだ(トレーシー・ハイドがタイプというより、マーク・レスターは俺と同じだ!と思ってしまった)。

 

 そのまま、マークレスターの言動は、すべて自分の言動と錯覚する一体感があった。

 

 二人が友達と結婚式をあげ、最後に、教師と父兄から逃げてトロッコに乗り走り去るシーンでは涙があふれた。

 

 何故あんなに感動したかは分からないが、子供の心に響く作品だったと思う。

 

 最近、知ったのだが「小さな恋のメロディ」が大ヒットしたのは日本だけなのだそうだ。私は世界的ヒット作だと思っていたので意外である。

 

 当時、日本は「受験戦争」で大変だったからヒットしたのかも知れない。

 

 しかし、何故? 「受験勉強」をしなかった、私が感動したのだろう? 受験勉強のフリをして机に五時間座ってラジオを聞いたりしたが、実際勉強はしていない。

 それも、それなりに大変だったが…。

 

 私が思うに「学校や教師」から逃げたいと思っていたようだ。風邪で水泳を休むと先生は「本当は泳ぐのが嫌なんだろう」と言った。私は水泳は嫌いだったが、休む様な卑怯なマネはしない。先生は私の真面目さをまったく理解していないのだ。

 

 柔道部で腰を痛めた時。先生に「腰が痛くて体育大会で走れません」と言ったら「走れるスピードで良いから走りなさい」と言われた。そこで、「ゆっくり」走ったら「あいつは、ふざけて走っている!」と言って職員会議で問題になったそうだ。

 

 あのトロッコで先生と父兄から逃げる映画のシーンは、私の願望だったのではないだろうか?

 

 後日。優等生の友達のU君と映画「ベンジー」を観に行った。何故なら新作の「ベンジー」と旧作の「小さな恋のメロディー」が二本立てだったからだ。

 静岡ではこんな変則の二本立てが時々あった。私とU君は「小さな恋のメロディー」のパンフレットを買った。どうやら、優等生のU君も目当ては同じだったのだ。

 

 立川談志師匠のCDを聞いていると、「小さな恋のメロディ」を観た感想を言っているものがある。

 映画の冒頭でメロディーが廃品と金魚を交換するシーンがあって「海外では、金魚と交換する廃品回収があるのかね?」と、文化の違いを話していた。

 

 私は、このシーンにはまったく注目していなかった。「金魚」が出たのは憶えているが、廃品回収で金魚を貰ったとは理解していなかった。

 

 「小さな恋のメロディ」久しぶりに観てみようか? と思う夏の日である。

 

 う~ん! 普通のブログになってしまった。アクセス数が少なそうだ!

 

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ハリウッド映画スターと会った!

 まだ私が二十代前半の新人放送作家の頃。ラジオで新作映画を紹介するコーナーを担当したことがある。

 

 試写会を見て、その内容を紹介する原稿を書くのが仕事である。その作品の中には「ターミネーター」(一作目)や「コクーン」も有った。

 

 「ターミネーター」を観た時は、面白いが「くどい」と思った。

 最後にやっつけた筈のターミネーターが、骨格だけで攻めていくるシーンで「もう、いいよ!」と思ってしまったのだ。

 「面白いけど大ヒットは無いな!」と思っていたら、世界的なヒットとなった。

 

 当時はシュワルツネッガーさんも新人。私は初めて観る役者さんだった。私には映画を観る目がないのかもしれない。

 「コクーン」は素直に面白いと思ったが、こちらは、世界的には「ターミネーター」程ではなかった。

 

 同じ頃。「グーニーズ」の試写会が行われた。子供たちが活躍する冒険映画である。

 

 ディレクターが言った。

 「グーニーズ」に出演した役者のインタビューが出来るから、帝国ホテルで取材してきて」

 

 新人の私がハリウッドスターの取材などして良いのだろうか?恐る恐る帝国ホテルへと行くと、そこは記者会見ではなく普通の部屋。

 スターの家族も一緒に居る空間に、日本のマスコミ各社が来ていた。新人の作家が只一人で来ているのは私の番組だけだ。

 そこに居たのは、キー・ホイ・クァンとジェフ・コーエンの少年二人だった。

 

 キー・ホイ・クァンは映画の中で中国系の少年・いじめっ子を撃退する発明をする賢い子。後に彼は「インディージョーンズ」にも出演した。

 ジェフ・コーエンは太った友達の役だ。

 

 二人は小学生で帝国ホテルの最高級の部屋。私は世田谷の風呂なし四畳半のアパートから取材に来ていた。その貧富の差は莫大だ。

 

 私はビビって何も聞くことが出来ない。

 

 まわりのテレビクルーは、有名なリポーターを使って、ガンガン質問を浴びせている。無名作家の私が入るスキなどないのだ。

 

 私は、誰かがする質問の答えをメモするだけだった。

 

 取材時間が終わりマスコミが去る時。キー・ホイ・クァン君が私の近くを通り過ぎた。すると、私に手を差し出してくれた。私も手を出すと握手してくれたのだ。

 多分、キー・ホイ・クァン君は何も質問できなかった私を可哀そうに思って握手してくれたのだろう。流石はハリウッドスターだ。小学生なのに気遣いが出来るのだ。

 

 ラジオの「グーニーズ」の紹介では、つい、キー・ホイ・クァン中心の情報を書いてしまった。新作映画情報なのに「小学生ながら握手をしてくれる人格者だった」など、余計な情報を入れてみた。

 その原稿を見たスタッフが言った。

 「これ、書いたの誰?」

 「やばい! 怒られる!」(心の声)「私ですけど…」

 「良いね~! 生で本人に会った感想なんて他じゃやってないよ!」

 「うおおおお~!セーフだ!」

 

 質問は一つもしていないのに、唯一の接触・握手のことを伝えたら褒められてしまった。

 

 キー・ホイ・クァンは、私が握手した只一人のハリウッドスターである。彼も立派だが、私も今は風呂付3LDKに住んでいる。出世したものだ(賃貸だが…)。

 

 私は作家界のブータン国だ! 幸せの尺度が皆さんと違う様だ。

 

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ミニスカポリスと三遊亭愛楽さんの悲惨な地方営業!

 東海大学落語研究部の一つ後輩に、頭下位扇平(とうかいてい せんべい)君という、ある地方の優良企業の社長がいる。

 二十年以上前のことだと思う。彼が有力なOBに頼んで、地元でイベントをやることになった。彼は商工会の青年部の会長を務めていた。

 そこで、私もイベント構成で現場に来て欲しいというのだ。

 

 内容は当時テレビで人気だった「ミニスカポリス」を招いてのゲームとクイズ。司会は三遊亭愛楽師匠と決まっていた。

 

 「ミニスカポリス」と聞くと、なんだか華やかだが、これは番組に出ていた本物のタレントさんではない。別の女性タレントに「ミニスカポリスの衣装」を着せたものだった。商店街の怪獣ショーに本物のスーツアクターは入っていないのと同じ理論で、無理やり作ったイベントである。

 これは、一般公開はせず商工会だけの集まりだったので、アバウトな部分も許されていたようだ。

 

 当日。三遊亭愛楽さんの司会がさえて、会場は笑いに包まれていた。ミニスカポリスの二人が踊って、ミニスカートの中に書かれた文字を当てるというクイズなど、少しお色気系の遊びで、賞品が当たるのだ。

 

 会場は盛り上がり、我々はホッ!としていた。これで、役目を果たせたからだ。

 

 しかし、一度目の公演を終えたその時。事件が起こった!

 

 ミニスカの二人が泣きながら言った。

 「私、もう出来ない!」

 「私もできない!」

 マネージャーが訳を聞くと、お客さんの中に体を触った人がいるというのだ。

 「私、こんなの聞いてない! 帰ります!」

 

 これには困った。「ミニスカポリスショー」は二回公演だったからだ。ここで、帰られては、二回目は三遊亭愛楽独演会になってしまう(それが悪いとは言ってませんが)。

 

 主催の扇平君に聞くと、昨年のイベントでAV女優を呼んだらしい。お客の一部が同じタイプのイベントだと思っていた様だ(AV女優も触ったらダメだと思うが…)。

 

 そこで、イベントに立ち会っていた大物OBが扇平君に言った。

 「お前が土下座して、今日一日何でもするから、もう一回出てくれと泣いて頼め!  主催がそこまですれば何とかなるだろう」

 

 そこで、愛楽さんと私と扇平君。そして、全体構成をした大物OBと四人で、ミニスカのホテルを訪ねることになった。

 

 ドアが開くと、扇平君は打ち合わせ通り「土下座」して、「お願いです。もう一回イベントやって下さい」

 

 愛楽「社長も、こう言ってるんだから…許してやってよ!」

 大物OB 「そう、全部、社長の扇平が悪いから、今日は、何でもご馳走するし、何でも言うこと聞くって言ってるから、考え直してよ!」

ミニスカA「どうしようかな~!」

ミニスカB「本当に何でもするの~?」

扇平「何でもします」

 

二人は、我々を部屋に入れると…。

 A「じゃあ、社長! 高級中華食べたいな~!」

 扇平「夕食は高級中華にします」

 B「社長! 後でメロン買って来て!」

 扇平「分かりました」

 A「明日は、鯛茶漬けね!」

 扇平「分かりました」

 B「社長! 肩もんで!」

 扇平「はい!」

 

 これは、完全に落研時代の一年生いじりと同じだ。

 段々、我々も面白くなってきた。

 私「社長! コーラ買ってこい!」

 扇平「はい!」

 大物OB「社長! パン買ってこい!」

 扇平「はい!」

 B「社長! ドンペリとって!」

 扇平「いや、ここには無いと思います」

 A「じゃあ、出るのやめよっかな~!」

 扇平「別の高級ワインで許して下さい」

 B「しょうがない、許してやるか」

 愛楽「社長! ギャラ上げて!」

 A・B「それいい~~! うける~!」

 

愛楽さんと我々の盛り上げと、落研で培った扇平君の理不尽に耐える振る舞いで、何とか二回目の公演が行われた。

 

 ミニスカの二人は、楽しくなってしまった様で、二度目は少しぐらい触られても文句を言わなくなっていた。

 

 愛楽さんも笑い過ぎて可笑しくなってしまい。司会が覚醒していた。

 「皆さん、ミニスカのお体へのタッチ、抱擁は禁止でございます。なにとぞ、お手を触れませんように! では、ミニスカさん! はりきってどうぞ~!」

 もはや「ストリップ小屋」の司会「鶯谷ミュージックホール」みたいである。

 

 我々は、その夜、社長のオゴリで食べまくり、飲みまくり、最高に楽しい夜を過ごした。

 

 そして、帰りに私と愛楽さんは、社長から手渡しでギャラを貰った。

 これが、驚くほど少なかったのを憶えている。

 

 社長は、金の使い方が間違っている様だ。

 もっと、土下座させるべきだった。と、今も思う私である。

 

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大学で観た!山下久美子は輝いていた!

 昭和55年。私が落研1年の時。東海大学では文化祭以外にも有名アーティストの無料コンサートが企画されていた。

 新入生歓迎の意味だと思うが、二号館の大教室でプロミュージシャンのライブが無料で開かれていたのだ。

 

 1年の春。まだ、新人の山下久美子さんが来た。2年先輩の実志(じっし)さんと飛鳥(あすか・元・マー坊)さんが私に言った。

 「コンサート観に行くぞ! お前も来い!」

 見るとパワフルで歌は上手いし、バラードは綺麗だし、最高に楽しいコンサートだった。

 

 そして、最後の曲は新曲の「恋のミッドナイトDJ」だった。会場が大きく盛り上がった。「山下久美子って良いな~!」3人共同じ気持ちだった。これが無料で観られるなんて、流石は学費の高い東海大である。

 

 3人で帰り、小田急相模原駅前を歩いていると、実志さんが言った。

 「黒舟! 金持ってるか?」

 「私は一万ぐらいはあります」

 「お前、山下久美子のLP買えよ!」

 「えっ! 僕、ステレオ持ってませんよ!」

 「俺が、テープにダビングしてやるから…」

 もの凄い理不尽な理由である。

 

 素直な私は、言われるままLPを買って自分用のテープも買った。三人で実志さんのアパートでアルバムを聞いた。私は「バスルームから愛を込めて」が印象に残った。

 実志「山下久美子は、売れるな!」

 飛鳥「(栃木訛りで)いっちゃあ、なんだけど、俺達目利きだからな! 黒舟! 絶対売れるぜ!」

私「…そうかも知れないですね!」

 

 数か月後。山下久美子さんは全国区の大スターとなっていた。先輩達も目利きだが、この時、大学にブッキングした担当者は本当に目利きだと思った。

 

 一年の文化祭の時。私が学内寄席の呼び込みをしていると、お客さんは口々に「野外音楽堂はどこ?」と聞いてくる。

 私「寄席やってるんですけど…」

  「それは、いいから、野外音楽堂は?」

  「この先、下った左です」

  「ありがとう!」

 何度同じ会話をしたろうか。私はもう嫌気がさしていた。落研の寄席には人が来ないのに、みんな野外音楽堂へと向かうのだ。

 

 野外音楽堂では、この日、マスコミで大人気のジューシーフルーツの無料コンサートが開かれるのだ。当時、ジューシーフルーツはテクノの可愛い曲で「ジェニーはご機嫌斜め」や「恋のベンチシート」が大ヒットしていた。

 聞くと、目利きの担当者がまだ売れないうちに文化祭にブッキングしていたそうだ(後に本人から聞いたが、ブッキングしたのは文化部連合の先輩「かっぺい」さん(クラブは忘れた。長野で普通のサラリーマンになった)だったそうだ。

 

 学内は人で溢れてパニックになった。私の呼び込みはまったく無視である。腹が立った我々一年は「何がジューシーフルーツだ! こっちの方が面白いんだぞ! この野郎~!」と心で叫びながら、過酷な呼び込みを続けていた。

 どう呼び込んでも「野外音楽堂はどこですか?」の質問ばかりだった。

 

 最後は道案内が面倒になって「野外音楽堂は左です」いつの間にかコンサートスタッフになっていた。

 

 「クソ~! ジューシーフルーツなんか、もう、テレビに出ても見ないからな!」

 私の下宿にテレビは無かったが…。

 

 そのうち、野外音楽堂から演奏が聞こえて来た「ジェニーはご機嫌斜め」だ。

 「ちきしょう! 始まりやがった!」大音量なので落研の落語の最中も聞こえてくる。この音の中でも、エース級の先輩達は笑いを取っていた。ここだけは、誇らしかったが、屈辱にまみれた結末だ。

 

 帰りに、同期の切笑(せっしょう)が言った。

 「ちくしょう~! ジューシーフルーツ…観たかったな~!」

私「実は、俺も!」

 

 寄席に客が入らなかった落語低迷期。音楽界が羨ましかった我々である。

 落語ブームに火がついた「タイガー&ドラゴン」まで、まだ、25年も前の話である。

 

 

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