放送業界のお話と落研と私的な思い出(瞳尻・黒舟)

「嗚呼!青春の大根梁山泊~東海大学・僕と落研の物語」スピンオフ・エッセイ。放送関係。業界のエピソードと近所の出来事

何気ない電話が仰天の仕事へ!

 細々と放送作家を続ける私は、以前も書いたように、「自分で動く」より「誰かの導き」で仕事が入る。

 

 二十年程前のことだが、東海大落研二年先輩の頭下位亭実志(とうかいてい じっし・現・ディレクター山崎)さんから電話があった。

 「放送作家のインタビューしたい人がいるから、何か話してやってよ」

 「分かりました!」

 内容は良く分からないが、近所の喫茶店でライターの女性と待ち合わせて、取材となった。

 

 聞くと「放送作家になる為のノウハウ本」を書いているので、話を聞きたいというのだ。質問されるがままに、二時間ほど喋りまくると、女性ライターは嬉しそうに帰って行った。

 

 数日後。編集の責任者から電話があり、「一度会いたい」と言う。

 追加取材かと思い出版社を訪ねると…。

 「小林さん この本の監修やってくれませんか?」

 「えっ! 監修?!」

 私は、単なる取材で「謝礼」も貰えるか怪しいと思っていた。女性記者が色々聞くので熱心に現場の様子を答えただけだ(男だったらあんなに話はしない)。

 

 しかし、放送作家のノウハウ本の監修は、私より、もっと有名な作家の方が良い。私が担当者なら絶対私等選ばないからだ。

 私は素直に言った。

 「監修となると、もっと有名な人がいいんじゃないですか? 高田文夫先生とか秋元康さんとか…。その方が本も売れますよ!」

 「いえ! 良いんです! 小林さんにお願いします」

 そこまで言われたら断る理由は無い。どうやら女性記者に誠意をもって接したのが良かった様だ。ありがたく引き受けることにした。

 

 本のタイトルは「放送作家に〇〇〇〇〇☓☓問題100」です。

 「今、女性ライターが90問作りました。最後に「応用問題・実践編」を10問作っ下さい」ここは、本当に放送の現場で起こる問題にして下さい」

 

 最初の90問を見て私は驚いた。私の答えられない問題が多かったからだ。

問「放送局が放送業務を行うための免許を交付する権限を持つのは1~5のどれか?」

 ①「通商産業省」➁「宮内庁」➂「郵政省」④「科学技術庁」➄「最高裁判所

 

 私は思った! そんなの知るか? 答えは➂「郵政省」とある。確かに放送に関する問題だが、監修の私が勉強になってしまう。この手の問題がほとんどを占めていた。

 

 もう出版日が近いので直す時間がなく、直すとなると私が全部やらなくてはいけない。スケジュール的に無理と判断した私は「最後の10問・実践問題」だけに集中することにした。

 

 91問は「急に始まることになった、深夜の新番組(バラエティー)の司会者を選ぶなら次のうちの誰?」といったものにした。

 

 候補には大物スターの名前と、若手の名前が混ざっている。

 この問題の正解は「新人タレントの名」である。「急に始まる」「深夜」と考えると、予算は無い。しかも、大物は急にブッキングできない。はっきり言って「ひっかけ問題」である。

 

 某有名プロデューサーが若手の作家に怒鳴ったことがある。

 「お前ら、企画書にタモリとかSМAPと書いてくるんじゃね~よ! 誰がブッキングするんだよ! どこに予算があるんだよ! タレントありきの企画は企画じゃねぇ! まず、面白いこと考えてこい!」

 

 私はこの手の「現場で本当にあった」問題だけで10問用意した。考えているうちに面白くなってきた。仕事ということを忘れる程だった。

 

 すると、この問題を見た編集長が「面白い! こういうのが欲しかったんです」と、のってくれた。

 

 役目を終えた私は「あとがき・書いていいですか?」と聞いてみた。すると、「いいですけど…どんなこと書きます?」と聞かれて「この本を買ったあなたは、放送作家に向いていないかも? 私の知る有能な作家でノウハウ本を見て作家になった人はいない。本当に目指すなら、自分で面白いことを見つけて欲しい」的なことを提案した。

 実践に関係ない問題が多いことへのうしろめたさがあったからだ。

 

 しかし、この「あとがき」は却下されてしまった。

 

 とは言え楽しい仕事だったので、私としては満足だった。

 

 数日後。出版と共に初版刷り分の印税が支払われてきた。作業量からすると放送台本の10倍程だったと思う。

 

 何気ない先輩の電話のお陰で得してしまった。 

 

 電話をしてくれた実志さんにお礼がてら、本を渡すと…

 「えっ! お前、監修なの? 取材ウケるだけかと思ったのに! だったら、もっと有名な作家紹介するんだった!」

 これは、正直なコメントである。私でもそう思う。

 

 この本は発売日に、新宿紀伊国屋書店に平積みされていた。それを見た私は思わず写真を撮ってしまった。

 

 売れ行きは大したことがなかったが、絶版になった頃。

 ネットオークションで、この本が1万円を超えているのを見た。ものの価値とは分からないものである。初版が少ない方が高くなる時があるのだ。

 

 現在は500円しないで買えると思うが…。それはご愛敬だ。

 

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東海大落研後輩の反乱!

 昭和55年~57年頃。東海大学落語研究部の部室には、いつも頭下位亭楽陳(とうかいてい らくちん)さんと言うOBが居た。

 

 私より6年も先輩だが、当時は会社を辞めて毎日部室に来ていた。この楽陳さんは、とても頭が良く機転が利く。キャンプなどの仕切りや文化祭の準備に絶大な腕を見せてくれるスーパーOBだ。

 

 この人は、現役時代・寄席文字の担当で、橘流寄席文字をプロ級の腕で書いてくれる。

 さらに、文化祭の客席に畳敷きの桟敷席(新宿末広亭風)を造り、末広亭と同じ開閉式の下駄箱まで作ってくれるのだ。たった一人で、拾ってきた竹で手すりを作り、リヤカーで部室の畳を運ばせて、みごとに仕上げていた。

 

 楽陳さんは、威厳を示すのが好きで、何かあると

 「切奴!(きりど・現・昇太師匠)俺とお前とどっちが落語が上手いんだ?」

 「(身を正して)先輩です」

 と言うやりとりをしていた。

 

 我々後輩は、「この先輩は学生落語日本一になった切奴さんより上手いんだ!」 うちのOBは凄い! と関心していた。

 

 後に、これは先輩が上下関係を主張する為の定番ギャグだと知るのだが。この時の後輩は丸々信じていたものだ(先輩の言葉は絶対の東海大後輩は騙しやすい)。

 

 当時、楽陳さんは文化祭に全て参加していた。5日間あったと思うが、その毎日、疲れた部員を連れて夜中まで飲んで騒ぐのだ(失業保険を使っていた)。

 

 これは、1日、2日は我々も楽しいのだが、3日以降は疲れがピークに達する。

 しかも、楽陳さんはお酒を後輩につぐ時、断ろうとすると「手が重たいな~! 俺の酒が飲めないのか? 優しく言っているうちに…(落語「らくだ」風)」とプレッシャーをかけてくる。

 

 後輩は、疲れた体と眠気に耐え、さらに、アルコールに耐え、「面白いリアクション」もしなくてはいけないのだ(つまらない後輩だと思われるとクラブ内の地位が危ない)。

 

 確か、文化祭の4日目の夜だったと思う。行きつけの飲み屋、小田急相模原の焼き鳥屋「秀吉」で飲んだ後。12時過ぎに店を出た。すると、楽陳さんが「もう、一軒行くぞ!」と言った。

 

 この日は、流石に後輩は眠かった。翌朝も早いし、明日は文化祭の最終日。最後の大きな打ち上げがあるのだ。今日の酒はもうひかえたいのだ。

 

 先頭を歩く楽陳さんの背中を見ながら、一団楽(いちだんらく・1年・現・市会議員)君が私、黒舟(くろふね・2年)に言った。

 「先輩! 明日の為に…逃げましょう!」

 

 ここでは普通、2年生は1年に「甘えるな!」と言うところだが…。私も同じ気持ちだった。「よし! 逃げよう!」。1年の珍笑(ちんしょう・現・コンビニ経営)が言った。

「まとまって逃げると捕まるから、一度、バラバラの方向に逃げましょう!」

私「それだ!」

 

 10人程居た、後輩達の目が輝いた。これは「落研始まって以来の・大脱走」だ!

 「私が合図をした! せーの! 逃げろ~~!」

 後輩「わ~!わ~!」(四方八方に全力疾走)

 

 なんで「わ~! わ~!」言ったか意味は分からないが、そっと逃げるより、先輩に逃げたことを分からせた方が「面白く」感じたのだ。

 

 全員が、逃げる! 逃げる! 私は「大脱走」のスティープ・マックイン。一団楽はジェームズ・コバーン。珍笑はチャールズ・ブロンソンだ! 

 

 我々は、最終的に一団楽君のアパートで眠った。明日の最終日に高座でウケる夢をみながら、みんな笑みを浮かべながらよだれを垂らしていた(かもしれない)。

 

 そんな、深夜三時頃。階段を上がる誰かの足音がした。コツッ! コツッ! 二階の一団楽君の玄関のドアが開いた。楽陳さんだ。

 私は薄目を開けて寝ているふりをした。今から飲みたくはないからだ。

 

 すると、楽陳さんは小声で我々の人数を数えた。そして、「全員いる!…よかった~~!」と独り言を言った。

 

 我々はゲーム感覚で逃げて楽しんだのだが、当の楽陳さんは「逃げた後輩に、もしものことがあったら自分の責任だ」と思って、全員の下宿を訪ねて探していたそうだ。

 ここを見つけるまでに、徒歩で4、5カ所回っていたようだ。どこにも、居ないので、心配がピークになっていたらしい。

 

 楽陳さんは安心すると、そのまま静かに後輩を起こさない様に去って行った。

 

 東海大落研の先輩は、シャレはきついが意外と優しい常識人である。

 楽陳さんが、映画の時だけいい奴になるジャイアンに見えた。のび太達は安心してグッスリと眠った。

 

 そして、翌日。楽陳さんは何事もなかったかの様に理不尽だった。我々も何事もなかったかの様にふるまった。

 

 嵐の様な文化祭は終わった! そして、焚火の前でみんな意味もなく泣いた! 達成感の大切さを知った青春の一コマである。

 

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業界ところかわれば

 昔から「ところ変われば品かわる」と言う言葉があるが、新人放送作家は局による言葉の違いに悩まされる。

 

 私が初めて赤坂のラジオ局で仕事した時。キューシートと呼ばれる進行表に、SS~と書かれている。新人の私が初めて見た記号だ。私は素直なので恥を承知で聞いてみた。

 「すいません、SS~って何ですか?」

 「サウンドステッカー! CМから番組に入る時「〇〇の▼▼▼ギャング~!」なんて音がでるでしょう。あれですよ! 知らないの?」

 これは、私がよく行っていた局で言うJ~(ジンクル)だと分かった。

 

 こういった、細かい記号や呼び名は局や番組、スタッフによって違う場合がある。この例で言うと「SS~」は半蔵門のFМでも使われている。

 

 放送業界は「職人」や「芸人」の世界と似ていて、聞かないと何も教えてくれない。「この局は初めてです」と伝えていても、こんなことが起こるのだ。

 

 河田町のテレビ局で朝の番組を初めてやった時。М~(タッチ)と書かれていた。

 「あの…タッチって何ですか?」

 「知らないの? タイトルの前とか場面変わる時に音出るでしょう? あれだよ!」

 これは、私がやっていた番組ではМ~(アタック)と書いていた。

 ひょっとすると、同じ局の中でも番組独自の「表し方」があるのかも知れない。新人は、その都度覚えるしかないのだ(何故言葉を統一しないのかは謎)。

 

憶測だが、女子高生が自分たちだけの言葉を作る様に業界も「俺達のグループはこう」みたいな派閥があったのかも知れない。

 

 先程のSS~の番組をやった時。スタッフがキューシートの紙を渡して「お願いします」と言った。私は驚いてしまった。私が行っていた局ではキューシート(曲やコーナーのタイムを書いた進行表)はディレクターが書くものだったからだ。

 「これ、どうするんですか? まさか曲を選ぶの?」

 「ここに、台本書いて下さい」

 「えええ~!」

 これは、衝撃だった。私はいつも局の原稿用紙にラジオの台本を書いていたからだ。他の作家もそうしていたので、当たり前だと思っていたのだ。

 

 この局では、キューシートの小さなすき間に、コーナーの「説明」や「簡単な進行台本」を書き込むらしい。

 おかげで「凄く小さな字」(米粒に書き込む様な)で書くこととなった。さらに、無駄なギャグははぶいて大切な「ルール説明」だけに絞って書くこととなる。

 多分、ギャグはタレントのアドリブに任せるスタイルなのだ。

 

 これは、どちらの局の方法が正解かは分からない。どちらも「人気番組」はあるからだ。

 

 放送には、オープニングから全部書く朗読スタイルのモノから、「お知らせ」以外全部アドリブという番組もある。正解のスタイルはないのだ。

 

 聞いた話では、関西のラジオでは台本はほとんど無いと聞く。一度、私が関西のラジォをやった時は、アイドルの番組だったので台本があった。これは異例で、関西のお笑い系のタレントさんは、ほとんど台本無しの様だ(あっても無視して話してしまう)。

 

 東京のラジオに進出した、上方落語のT師匠は東京のラジオの台本の厚さに驚いたそうだ。「東京は楽やな~!」と言ったとか? 言わないとか? 

 作家の立場で言うと「関西が羨ましい」気もする。

 

 こんなことを書いていて、ふと!思う!

 

 春風亭一之輔師匠の「サンデーフリッカーズ」(JFN)はどうだろう? どちらかと言うと、関西よりの作りである。

 今気づいたが、この番組「キューシート」が無い。進行台本だけである。

 

 今日はオープニングで何を言い出すのか? スタッフも楽しみである。

 「いけないことを言ってしまうのでは?」と、ハラハラすることもしばしある。

 

 

 日曜の朝に「ハラハラ」したい皆さんは、是非一度お聴き下さい。

 

 ピンポ~ン! 今、これを書いていると荷物が届いた。一之輔の推薦図書「まんが道」全巻が届いた。先日、ヤフーオークションで落札したものだ。

 

 これから読むのに忙しいので、コラムは少し休むかもしれない。

 そろそろ、休んでいいよね?! 

 

 SS~

 

 М~(「夏休み」/吉田拓郎

 

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「何を言うかではなく、誰が言うかだ!」

 私が二十代後半の頃。某テレビ局で朝のニュース番組を担当していたことがある。この会議は空気が重く、若手の発言などは無言で黙殺される。

 

 それを知っているので、若手のディレクターは提案をせず、上司とチーフ作家の発言を待っている状態だった。


 チーフ作家は、私の師匠のМだった。つまり、私は師匠のコネで入って来た招かざる若手作家だった。しかも、当の私はニュースが得意でないのでやりたくない。命令で仕方なく参加していた。

 

 ギャラは普通に出ていたので、今思うと贅沢な話である。

 

 そこの会議で私が提案した新企画がある。それは「勝利のレシピ」というタイトルで、有名なアスリートが勝負の直前に食べた料理のレシピを紹介するものだった。


 当時の映像も使えるし、受験生の母親が「金メダリスト等が食べた料理を子供に食べさせたい」と思うのでは? という発想である。

 

 私がプレゼンすると、空気は止まった。ダメな企画だと、師匠のМが「小林、できないよ!」と突っ込んでくるのだが…。反応が無い。
 つまりМさんは、可能性があると思っていた様だ。しかし、他のスタッフは「良い」とも「悪い」とも言わず、別の話題となった。

 

 その数年後。これと同じ企画がレギュラーで別の局で始まっていた。

 私の発想は間違っていなかったのだ。この仕事をしていると、こんなことがよくある。

 

 同じ頃。私は某広告代理店の企画会議にレギュラーで出席していた。


 ここでは、作家が新番組の案を口頭で説明して、担当者が気に入ったものは次週、企画書にまとめるという作業をしていた。

 作家はうちの事務所から三人参加していたが、他の二人はいつも提案をしない。私の設定にのって付随するアイディアを言うだけである。何故かと言うと、言い出しっぺは次週、企画書を提出しないといけない。


 他の二人は、同じギャラならなるべく書きたくないスタイルをとっていたのだ。

 

 おかげで、ほぼ毎週、私だけが企画書を出していた。一度に二通出すことも少なくなかったのである。

 

 そんなある日。海外ドラマの「ルーツ」がブームとなった。そこで、私は「ザ・ルーツ」という番組を提案したのだ。

 これは、有名人の先祖をたどって、どんなルーツがあるかを解き明かす、ドキュメント番組である。


 担当者は、この企画に大きくのってくれた。会議の流れで番組の前半が「有名人のルーツ」で、後半は「グッズや家電のルーツ」開発秘話の二部構成となった。

 一同、この企画書には手ごたえがあったのだが、上司からの反応はNOだった。

 

 この企画の前半は、今、私が毎回楽しみにしている、某局の番組「F」と全く同じである。私の企画書でも「自分のルーツを映画館の様なスクリーンで観る」と書いていた。客席のセットの設定まで同じなのである。

 

 あの番組が始まる二十年も前のことである。

 

 これは、私のささやかな自慢である。私は間違っていなかった…。

 

 そして、この企画書を「良い」と言ってくれた方も、実は今企業のトップに立っている。

 

 しかし、私は、これをパクリだとは思わない。プロは皆同じようなことを考えるものなのだ。

 

 落語の世界では「何をやるかではなく、誰がやるかだ」と言う言葉があるという。演目より「誰がやる落語か」でお客さんが集まるのだ。

 

 企画書が通らなかったのは、運もあるが、私が大物でなかったからだと思う。


 「どんな企画書を出すかではなく、誰が出すか」なのだ。

 有名でない若手は、よく、こんなことがある。

  しかし、同じものが流行った時「間違ってはいなかった」と自信を持つべきだ。

 

 悔しがってひがむより「私のセンスは間違っていなかった!」と思って生きる方が、人生楽しくなる。

 

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放送業界の嘘つき➁

 私の放送作家の師匠Мは、業界人らしくハッタリや嘘が上手い。成功する為のノウハウらしいが、この方法は私には合わなかった。私はこの嘘に悩まされた。

 

 ある日。ラジオのディレクターが私に言った。

 「おや! 大先生! Yのコーナーの仕掛け人なんだって?」

 

 私は何のことだか分からない。しかも、皮肉っぽい言い方だった。

 Yのコーナーは「映画化」までされた目玉コーナー。私が「見習い」になる前からヒットしているし、私が担当する曜日ではない。

 つまり、私が「仕掛け人」の訳がないのだ。

 

 後で分かったのだが、これは、師匠のМが「うちの小林はYコーナーの仕掛け人だよ」と嘘をついて、私を売り込もうとしていた様だ。それが、当のディレクターに知れてしまったのだ。

 これでは、私が陰で「俺が仕掛け人だ」と嘘のハッタリをかましている様に見えてしまう。

 この誤解で、私は冷たい仕打ちを受けた。まったく迷惑な話である。

 

 とある地方局のスタッフが私を紹介する時。こんなことがあった。

 「こちら、うちの作家の小林さん。学生落語の日本一ですよ」

 「いや! 私、チャンピオンじゃありません。六位入賞ぐらいです」

 私はすぐに訂正した。本当のことだからだ。

 

 すると、この大物スタッフが私に言った。

 「いいんだよ! 誰も分からないんだから…。日本一ってことにしておけば、引きがあるだろう?」

 放送業界とはそういうものなのだろうか? しかし、そんな政治家の学歴詐称のようなマネはしたくない。そんなことで嘘をついても仕方がないからだ。

 

 こんなこともあった。私があるテレビ局で音楽番組のチーフ作家の頃。新人の作家を入れたいと相談された。そこで、ラジオで知り合った作家N君に「音楽は得意?」と聞いてみた。すると「僕、音楽のことなら、相当詳しいですよ!」と即答した。

 

 そこで、紹介して番組に入ってもらった。私は音楽にうといので、戦力になると思ったのだ。しかし、実際、会議をやってみると…。

 N君は、有名なアーティストのヒット曲を知っている程度の男だった。これでは、私の音楽知識と変わりない。呼んだ意味がまったくなかった。

 「信じた私がバカだった」のだ。

 この番組のスタッフは優しい方達で、音楽音痴がバレた後もクビにはしなかった。そう言う意味では、N君のハッタリは成功したのかも知れない。しかし、私には納得がいかなかった。

 

 アメリカでは「ハッタリ」が強く「俺はこの分野で一番だ!」的なアピールが当たり前らしいが、日本の業界で「優秀な人間」は「まあまあ、普通にできますよ」ぐらいのスタンスの男が多いと思う。力量がある者は謙遜できる余裕があるのだ。

 

 ある日。プロデューサーが番組に新人の作家のМを参加させたことがあった。初日の会議は見学がてら何も書かせなかったのだが、我々が会議室で台本を書いていると、横でこの新人が大声ではしゃいでスタッフと話している。あまりに五月蠅いので「君、先輩達が今書いてるんだから、もっと静かに! ヒマだったら、このネタ考えてみて!」と、口封じの為に、台本に入れ込む小ネタを発注してみた。すると、この新人は、ものの一分で一つだけネタのメモを渡すと、また、馬鹿笑いを始めた。

 私は呆れて、相手にしないことにした。一応、ネタを見て面白かったら許そうと思ったが、これが素人以下のつまらないものだった。

 こいつの感覚は何なんだ?

 

 会議が終わり、作家とプロデューサーで飲みに行ったのだが、この新人もついてきた。プロデューサーが気にして誘ったのだ。

 

 飲んで居ると、この新人はやたらと「大風呂敷」で、自分は才能があって何でもできるとアピールしている。自信があるのは良いことだが、さっきのネタを見ている私は半信半疑だ。

 

 飲んでいるうちに、この新人が言った。

 「僕は落語にも詳しいんです」

 P「おお、小林もそうだよ! 話合うんじゃないの?」

  そこで、少し落語のどんな噺が好きなのか? どのくらい観ているのか? 聞いてみた。すると、何もまともな答えは返ってこない。

 私「う~ん! それ、自分で落語詳しいって言わない方がいいんじゃないの?」

 М「そんなことありませんよ! 僕は春風亭昇太さんと友達ですから。よく飲むんです!」

 答えにも何にもなっていない。友達と「落語に詳しい」はイコールではないのだ。

 しかも、言うに事欠いて、昇太さんと友達?! 

 

 私は、携帯で昇太さんに電話した。

 「すいません。今、昇太さんと飲み友達だっていう、Мって作家と飲んでるんですけど…。知り合いですか?」

 「いや、知らない!」

 

 私は、ハラワタが煮えくり返った! 「てめ~! 本人が知らないって言ってるぞ~!」(と心で叫んだ)多分、どこかで会ったことがある程度なのだ。

 「今、本人に電話したら知らないって言ってるよ! あんまり嘘はつかない方がいいよ!」

 流石にМは黙ってしまった。

 

 まったく、後味の悪い飲み会だった。

 

 そして、翌週。プロデューサーが言った。

 「あの新人、雇うのやめた!」

 私は謝って悔い改めてくれれば、それで良いのだが…。飲み会の様子を見ての判断なのだろう? 

 

 私は業界人の「ハッタリ」を信じられない人間になってしまった。このМは他で成功したらしいが、ハッタリが功を奏したのだろうか?

 もし、そうなら「嘘も方便」なのかも知れない。

 

 しかし、私には理解できない…。嘘にも程度があると思う。

 

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放送業界の嘘つき達!

 私が新人放送作家の頃。師匠のМから「六本木の料理屋へ来い」と連絡があった。事務所の近くなので、すぐに訪ねると…。

 そこには、師匠と大阪の超大物放送作家Tが飲んで居た。TさんはМをヨイショしていて「大阪のナンバーワン作家の収入は東京だと300番ですよ。Мさんはベンツ乗ってるでしょう。大阪のトップは国産車です」。

 

 Мは上機嫌だった。私を紹介する時、Tさんに「こいつ、うちの小林なんだけど…。T!何か仕事やってくれよ」するとTさんは「分かりました!今度、ラジオで女性ロックバンドSの番組始まるんで、言っておきますよ。大丈夫! 誰か探してって頼まれてますから」。

 何とも簡単に仕事が決まってしまった。

 

 私は翌日。女性ロックバンドSのアルバムを買うことにした。胸にバラのタトゥーがあるカッコいいヴォーカルのバンドだった。

 私はワクワクして、Tさんの連絡を待っていた。

 

 その一か月後。私が某ラジオ局の三階のロビーにいると、女性ロックバンドSの収録が行われていた。そこに居た放送作家は、音楽の評論でも有名な大御所Wさんだった。

 Wさんは私に「こんなギャラ安い番組初めてで驚いたよ!」と言っていた。

 

 Tさんからの連絡が来ることはなかった。

 

 また、ある日。師匠のМについて某ラジオ局に行くと、Мは若いディレクターに

 「こいつに、そろそろ番組やらせてくれよ!」と言った。すると、DのKさんが

 「今度、深夜にKさんの番組やるんで頼むよ!」

 簡単に仕事が決まってしまった。

 

 チョット、心が震えた。Kさんとは日本を代表するミュージシャンだったからだ。新人で見習いの私が、あの、Kさんの番組をやるなんて夢の様な話である。その日は嬉しくて眠れなかった。

 

 数日後。某ラジオ局の3階ロビーに行くと、端のスタジオで誰かが収録をしている。覗くと、あのKさんだ。スタジオには、私が尊敬する同年の作家Sさんが居た。ディレクターは勿論、「私にやらせてくれる」と言ったKさんである。

 

 私はやっと悟った。業界人というのは「その場限り」の「適当」な会話をするのだ。私の師匠のМは、大御所の作家だった上に、祖父が大阪のとある団体の組長だったという家柄。

 みんな、怖がって、その場では話を合わせているだけだったのだ。

 

 そう言えば、ある先輩作家は雑誌のグラビアをめくりながら「この女、昔、つき合ったことがあるよ」「この女もやったよ」等と、平気で嘘をついていた。。

 

 私がレギュラーを持ち、生活が安定した頃。「喋るコンピューターが電話で会話してくれるサービス」の会議に出ていたことがある。

 某テレビ局の大物社員が持ってきた話で、世界の最先端技術を持つ天才エンジニアが手掛けるという。

 

 このシステムは、どんな質問をしても「人間の様に答えられる」というのだ。我々は毎週会議を行い、プログラムの設定をいくつも考案していた。この開発が世に出れば、日本中を驚かせるビッグビジネスになると言うのだ。

 

 「いったいどんなシステムなんですか?」と聞くと

 「全ての会話を録音してコンピューターで瞬時に出す」と言う。

 チョット、拍子抜けである。考えて答えるコンピューターなら画期的だが、録音を出すのでは「喋るオモチャの人形」と大して変わらない。会話のバリエーションが多いだけだ。

 

 数か月後。局の大物社員から連絡があった。

 あの、大物エンジニアは詐欺師で金を持って逃げたという。我々は数か月間毎週アイディアを出してノーギャラとなった。大物社員が一度謝罪の飲み会をしてくれたが、「私も被害者だから」と言うことで、何もなく終わってしまった。

 

 また、「放送作家の教室」をパソコンのリモートでやると言う会議に出ていたこともある。

 この時も、毎週集まって、教科書まで製作している。これは、ちょっとした特番を一人で書くぐらいの原稿を書いたと思う。

 ところが、予算を出す自治体が「生徒の中から優秀な者はプロとして雇用する確約」が無いと金は出せないと言うのだ。

 

 我々は、会議の初日から「全員プロになれない可能性はある」と主張していた。当たり前の話である。「医学部」だって卒業しても「国家試験」に合格しないと医師免許はもらえない。弁護士もそうである。

 勿論、放送作家に資格試験は無いが、仕事がくるかどうかは本人の力量である。

 今更、その条件で金を出せないというのはおかしい。詐欺事件である。

 

 私は今、業界人の話は信じないことにしている。幸い我々作家は詐欺にあってもアイディアには仕入れ金が無い。損失は紙とインク代だけである。どんなに騙されても借金が出来ない仕事なのだ。

 

 これは、唯一ありがたいことだ。

 

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超大物プロデューサー登場!

 小田急線の経堂駅周辺に住んでいる時。一流放送作家の私は、駅前の「千円カット」に通っていた。

 

 私が順番待ちをしていると、今、座ったばかりの男が女性の美容師さんに話しかけた。

 「美容師さん、芸能界って興味あるかな?」

 「ええ! まあ!」

 「僕、業界でプロデューサーやってるのよ!」

 口調はドラマに出て来るインチキプロデューサーそっくり。高田純次さんあたりが演じている役の様だ。

 

 私は、すぐに、この男がニセモノだと分かった。

 聞かれる前に「俺、プロデューサー」と言うプロは居ないからだ。

 

 これは、面白い。聞き耳を立てて楽しむことにした。

 

 「僕さー! あの子なんか、良く面倒見てるのよ! 松島の奈々子ちゃん! 知ってる? 女優の!」(ドラマ「やまとなでしこ」が放送されていた頃だった)

 今度は友近演じる演歌歌手の様なセリフである。

 「あの子、良い子だよね! 後、仲が良いのは、ユーのミンちゃん! 松任谷ちゃんね!」

 おおおおおー! 私も業界は長いが「ユーのミンちゃん」という言葉は初めてである。

 面白いぞ! このオヤジ!

 

 二十代の美容師さんも、流石にインチキと気づいた様で会話に合いの手を入れるのをやめた。

 しかし、この男の喋りは止まらない。

 「僕、もう、業界長いからね~! 昔は、キラアーの沢黒ちゃん(黒澤明)の「イムラサのニンシチ(七人の侍)」のセットなんか手配して大変だったよ!」

 

 この男、どう見ても四十代。そんな奴が、黒澤さんと仕事などしている筈がない。大体、そんな凄いプロデューサーが「千円カット」に来るはずがないだろう! 俺は行ったけど…。

 

 「あれ? キアラ―分かんない? 黒澤の明ちゃんだよ!」二十代の美容師さんが言った。「黒澤って誰ですか?」

 おおおお~! 流石は我慢を知らない二十歳の娘。一言でインチキ男を玉砕してしまった。

 

 ちなみに、この男の服装は作務衣。大物プロデューサーと言うより陶芸家の様だ。どうせ嘘をつくなら服装にも拘って欲しかった。

 

 男は、美容師に相手にされないと悟ると、「そろそろ、カメリハだ!」と叫ぶと、足早に去って行った。

 

 次は私の番だ。椅子に座ると二十歳代の美容師が言った。

 「お客さん、仕事何やってるんですか?」

 「フリーターです」

 

 これが、正しい業界人の答え方だ。

 

 私はここ十年、自分で髪を切っている。「千円カット」の手順を見ていたら、坊主に近い短髪は誰にも出来ると分かったからだ。二千円の電動バリカンで簡単にできるのだ。

 もう、大物プロデューサーに会うこともないだろう?

 

 今回は「業界の話」でも「落研の話」でもありませんでした。

 

 この文章そのものが、インチキ詐欺である。

 

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