放送業界のお話と落研と私的な思い出(瞳尻・黒舟)

「嗚呼!青春の大根梁山泊~東海大学・僕と落研の物語」スピンオフ・エッセイ。放送関係。業界のエピソードと近所の出来事

もう一つ、新聞記者のY田君の思い出…。

 しばらく前に、中学の同級生・野球部のY田君の話を書いた。Y田君は高校野球大学野球(青学)と進み、監督と喧嘩して退部した男だ。

 現在、某新聞社の記者として活躍している。

 

 以前も書いたのだが、このY田君と静岡県の磐田球場で行われた、夏の甲子園予選1回戦・磐田南VS東海第一の試合を観た(第一シードの東海が7回ランニングホームランでコールド勝ち)。

 この時、東海第一高校の応援には、現・春風亭昇太師匠も来ていた(当時・東海第一の生徒)。

 我々は、すでに同じ空間を共有していたのだ。

 

 ここまで、以前のブログに記したおさらいだが…(遡ってお読み下さい)。

 Y田君に関して思い出したことがある。

 

 Y田君は、磐田南高校の野球部3年の時。シード校になったそうだ。当時、野球が弱かった磐田市では異例の快進撃である。

 

 数年前、飲みながら高校時代の話をしていたら…。

Y田「たしか、高校時代に東海大工業(私の母校)と練習試合したことあるよ」

私「そうなの!3年の時だと東海4県の優勝校だったから、うちは第1シードだったよ!」

Y田「だから、練習試合申し込んだんだよ!実はうちもシード校だったんだよ」

私「そんなに強かったんだ!(県立の進学校なので意外だった)」

 

 そこで、私は聞いてみた。

私「ファーストの選手が脅してこなかったか?」

Y田「あっ!脅された!「ヒット打つとは生意気だ!」みたいなこと言ってた!」

 

 私の母校のファーストは、ヒットを打った相手に「お前らがヒット打つなんて、100年はえ~んだよ!」等と、心理的に相手をひびらせることで有名だった。

 あのウワサは本当だったのだ。

 

Y田「最初、なんだ!こいつ!と思ったけど…。いい試合で延長まで戦って、俺達が負けてな!そしたら、ファーストが俺に近づいてきて「さっきは、悪かったな!お前らは、良いチームだ!」って言ったんだよ。あれは、勝つための心理戦なんだと思ったよ!」

 

 Y田君は怒っていなかった。それどころか、戦略的に関心すらしていたのだ。

 やはり、良い奴である。

 

 ちなみに、このファーストの選手は、親戚にプロ野球選手が居る野球エリート。野球をやるために、県外から来た特待生だった。

 

 この心理戦は、プロレベルのノウハウなのかも知れない。チョット乱暴さはあるが、野村克也さんの「呟き戦術」と同じ効果を狙っていたようだ。

 

 

 

Y田君は絶対読んでいない、青春馬鹿エッセイ!Y田君には伝えてない!このブログの存在もY田君は、まだ、知りません!

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田中邦衛さん!

 今、ネットの速報で俳優の田中邦衛さんの訃報が流れた。

 

 そこで、思い出したことがある。

 

 昭和60年頃。私は六本木の防衛庁近くの事務所・М商店で電話受けをしていた(仕事も事務所でするので、必然的に電話に出ることになる)。

 

 ある日。事務所に居ると呼び鈴が鳴った。出るとマンションを管理ている不動産屋さんだ。「他の部屋に入居希望のお客さんが来ているが、今、その部屋は改装中なので、同じ間取りの、うちの事務所の中を見せて欲しい」というのだ。

 それなら、なんの問題もない。「どうぞ、入って下さい!」と言うと…。

 

 ガチャッ!と空いたドアから、不動産屋さんと、もう一人!見たことのある人物が立っていた。

 

 (心の声)「ああああ~!青大将だ!」

 私は言葉を失っていた。あの、映画「若大将シリーズ」の青大将・田中邦衛さんが、そこに居るのだ!

 

 田中さんは、丁寧にお辞儀すると「失礼します!」と、青大将ではなく、「北の国から」の黒板五郎のようだった。

 声は小さいが、礼儀正しく、まだ、20代前半の私にも気さくに話してくれた。

 

 不動産が一通り説明をすると、田中さんは「チョット、狭いかな…。仕事中、失礼しました~!」と感じよく去って行った。

 

 田舎者の私は、都会とは凄いと思った。芸能人が部屋にいきなり入って来るなんて、田舎では「隣の晩御飯」のヨネスケ師匠だけだ(それも、まずないが…)。

 

 田中さんが去った後。私は、ラジオ用のネタを考えながら、加山雄三さんの曲を口ずさんだ。♪たった一人の日暮れに~見上げる空の星屑~!

 今は昼過ぎで星空は見えなかったが、若大将がギターを弾くパーティーで女の子と騒ぐ、青大将が頭の中を駆け抜けた。

 

 仕事では、一度もお会いしたことのない大スターだが…。私は肉眼で見たことがあるのだ。

 

 ふと、手を合わせた。ご冥福をお祈りいたします。

 

 

 

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パチンコ番組の知識!

 私は、何故かパチンコ番組を多く手掛けている。「パチンコNOW2」(CBC)、「ビキニ DE パチンコ」「英語でパチンコ」「パチスロ・オール設定バトル」「テレビキングダム」(CS BIGチャンネル)、「パチンコ情報ステーション」(CS 単独放送局)、等がそうだ。

 

 私はパチンコに詳しくなかったが、番組を担当すると、次から次へと新しい知識がインプットされる。

 パチンコの奥深さを知り、台は芸術作品の様にアートで、技術の結晶だと知った。

 

 ある番組で、パチンコの父(神様)・正村竹一さんの存在を扱ったことがある。

 

 私が驚いたのは、今のパチンコ台の釘の配列は「正村ゲージ」と呼ばれていることだ。

 

 元々、コリントゲームと呼ばれるパチンコの元となる遊技機は、釘が均一に配列されていた。正村さんは、玉の動きを不規則にする為に、独自の釘の配列を考案したのだ。

 その様子は、正村さんの生涯を描いた「天の釘」という本に詳しく記されている。

 

 正村ゲージは、いままでの遊技機と違い、はね方に変化があり、エキサイティング。大評判となる。

 しかし、正村竹一さんは「特許」を取ろうとせず「仲間に無料開放」したのだ。後のパチンコ店の繁栄は、正村さんのお陰かも知れない(資料に書いていた通り、情報の横流しですが)。

 

 また、パチンコの大きさが何故今の形になったか?その理由が興味深い。

 正村さんは戦後すぐ、物資が無い時代にパチンコに使うガラスを求めて行脚するのだが、中々、数の揃ったまともなガラスが見つからない。

 そんなある日。農家の温室にガラスが使われていたことに気づいたのだ。農家を訪ねると、同じ大きさのガラスが大量に残っていた。これを買い上げてパチンコ台を作ったのだ。

 つまり、温室のガラスの大きさが、今もパチンコ台の盤面の大きさとして伝わっている。

 

 パチンコで大儲けした正村さんは、仕事の無い者たちにパチンコ店の経営を勧める。しかも、資金は全部正村さんが出して「釘の調整」も担当。

 借金は開業後に分割で返す方法をとった。この皆さんが、皆、大儲けして大富豪となるのだ。これは、今でいうフランチャイズである(今、資金0でフランチャイズは無いが)。

 

 正村竹一さんは、まさに「神様」。パチンコの製造、店舗、技術提供、「釘師」の元祖だったわけである。

 

 その後。正村竹一さんは人気番組「知ってるつもり!?」にも取り上げられた。今もネットで見られるのではないだろうか?

 

 私は、この放送を見ながら…。呟いた…。「俺は知ってたよ!」

 

 

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青学の秋風とんぼさんからメッセージが来た!

 この、コラムのシリーズで登場した、青学落研の同期・秋風とんぼさんからメッセージが来た!(遡ってお読みください)

 

とんぼ…

えー、どっちのエピソードもまったく記憶にないんだけど... ファンダメンタルは面白いね!そういえばこないだ(と言っても数ヶ月前)〇〇が偶然昇太さんと飛行機で席が隣だったんだって!

 

〇〇君とは、青学の後輩・音亭狂雀(おんてい きょうじゃく)君。現・国会議員である。

 

 しかし、全然、憶えていないとは、まるで、平〇愛〇さんの様だ(ブログを大きく遡ってお読みください)。女性は過去を捨てるものなのか?

 

 またも、私は存在が薄い様だ!

 

 

 

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花粉症との戦い!50年以上前!

 50年以上前のことだ。私は入園試験のある幼稚園へと通っていた。地元の女子高に保育科があり、その付属幼稚園だった。

 

 入園試験と言っても、「簡単な迷路を出口まで指さす」とか「池の真ん中に行ってしまったオモチャの船を取るには、どの道具を使う?」などの簡単な試験だ。長さの違う棒や網、投げ縄などのイラストがあり「どれを使うか」選ぶだけだ。

 以前、テレビで猿を使って「吊るしたバナナをどうやってとるか?」という実験があったが、それと大して変わらない。

 

 さらに、驚いたのは、この幼稚園に「落ちた人」が沢山居たことだ。

 

 私の勘だが、この入園試験は「正解」は二の次で、「落ち着き」や「人間性」を試していたのだと思う。場合によっては、親を見ていたのかも知れない。

 

 以前、コラムで書いたが、私は幼稚園に行くのが嫌で仕方が無かった。毎日、家でテレビや漫画を見て暮らしたかったのだ。

 

 4月。仕方無く幼稚園へと行くと…。私は鼻水が止まらなくなり困ってしまった。私は思った。「鼻を垂らす」なんて絶対モテない!

 ティッシュで鼻をかんでも、次から次へと出てくるのでキリがない。

 

 私は仕方なく、鼻をすすって飲み込むことにした。すると、また、ものの1分で出て来る。仕方なく、また飲む。私のお腹はいつも鼻水でパンパンになっていた。

 

 あまりに鼻水が出るので両親は内科の医院に連れて行った。診断は風邪。薬を貰って飲んだが、まったく良くならない。

 お医者さんは、さらに強い薬をくれた。私は1日中眠くて、幼稚園のお遊戯やハモニカの練習が頭に入らない。半分夢の中だ!

 

 このパーターンは、小学校に行っても変わらず、1年の半年は薬で授業は眠っていた。さらに、冬も風邪になるので、また、薬だ。当然、授業の内容など、なんだか分からない。

 しかも、予習・復習する真面目さもない。毎日が苦痛だった。

 

 時代は大きく飛ぶが、小学5年の頃。

 鼻水が止まらないのなら「耳鼻科へ行ったらどうだ」と両親が言った。

 

 耳鼻科へ行くと、先生が言った。「これ、風邪じゃないな!最近、新しく分かったんだけど、杉の花粉症というものがある。検査してみよう」。

 

 検査すると、重度のスギ花粉症と判明した。まだ「花粉症」が一般的でなかった時代。内科の先生は「花粉症」を知らなかったと思われる(耳鼻科も分かったばかり)。

 

 ここでやっと、幼稚園入学と同時に鼻が出た訳が判明した。

 幼稚園は山の上にあり。細い山道を登ってゆく。そこには、杉の木が沢山あったのだ。ちなみに、この道では野生の熊がワナにかかって県内のニュースになったことがある。

 

 そこで「花粉症の薬」を服用することになった。しかし、問題は当時の薬を飲むと、殺人的な睡魔が襲ってくることだ。風邪薬の数倍眠く、もはや睡眠薬レベルである。

 

 小学高学年から中学の授業では、居眠りしたうえ、花粉症だから鼻とヨダレが垂れる。薬を飲んでも不快感が弱まる程度で、毎日、クャミの連続だった。

 またも、絶対にモテないパターンである。

 

 おかげて、中学はクラブ活動の柔道以外、1年の半分は学校で眠っていた。

 

 現在も私は花粉症だが、薬は飛躍的に進化している。眠気は少なく鼻も垂れない。

 

 会議中、本番中に寝ることもない(あたりまえだ!)。薬も進化したが、私の精神力も進化しているのだ。

 

 数年前。原因不明の喉の痛みに襲われ、1か月半も続いた時。カビ、ノミ、などのアレルギーを全て調べたことがある。

 

 結果を見て、驚いた!カビ、ハウスダスト、ノミ、などのアレルギーは全くなかった。しかも、日本一酷いと思っていた「杉花粉」のアレルギーが6段階の3。ヒノキは2と、かなり軽くなっていたのだ。

 

 ここ3年程。私は花粉で鼻水がボタポタ落ちなくなった。いつの間にか花粉に強くなっていたのだ。

 年を取って免疫力が弱ったのかもしれない。

 

 今、中学に入れば、もっと授業が分かった筈だ。

 本当はエリートだったのかも知れない? と、言っておこう!

 

 

 

「花粉症」でも、こんな楽しい青春がある!大学の合宿所は群馬県・榛名湖畔。

春合宿の花粉との戦いは壮絶でした。

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新幹線・変なオジサン!

 私は放送作家なのでパソコンで原稿を書くが、実は、未だにカナ打ち入力だ。

 

 他の放送作家やスタッフは当然「ローマ字打ち(ローマ字変換)」なので、チョット馬鹿にした目で見られる。

 

 しかし、私は、「カナ打ち一筋」で何十年も原稿を書いているので「ローマ字打ち」にすると、仕事が遅くなるのだ。

 

 ある日。そんな私を救ってくれたのが、仲間の放送作家・津曲君だ。津曲君はテレビでは「津曲ラッキー」の名で構成作家をしている。「夜のヒットスタジオ」や「love love 愛してる」「Hey!Hey!Hey!MUSIC CHAMP」等も構成した、音楽に精通する作家だ。

 

 そんな津曲が私に言った。

 

 「小林さん、そこまでカナ打ちで慣れたなら、もう、ローマ字打ちにしなくて良いですよ!実は、カナ打ちの方がおさえるキーが少ないから、早いですよ!」

 「えっ!」

 

 私には意外な言葉だった。今まで「カナ打ち」は遅いと思っていたからだ。

 

 「だって、「し」と入れるとすると「ローマ字打ち」は「shiまたはsi」と入れるけど、「カナ打ち」なら「し」一回で済むでしょう。キーを叩く回数は少ないんですよ!指への負担も減ります」

 

 何と!眼から鱗の答えだった。確かに、「五十音」だとキーの場所を憶えるのが大変だが、叩く回数は少ないのだ。

 

 サスガは津曲!国公立大学出身のエリートだけのことはある。

 

 別の日のことだが、私が新幹線の中で知り合いに「カナ打ち」の方が、実は早いらしい!と、津曲君のうけうりで自慢げに話していた。

 

 すると、自由席の隣に居たオッサンが「いや、ローマ字打ちの方が早いよ!」と、口をはさんできた。

 知らないオッサンだが、私は、キーを押す回数の理論を説明すると、オッサンは「いや、ローマ字打ちの方が早い!」と譲らない。

 理由を聞くと「ローマ字が早い!」それしか言わない。

 

 私は腹が立ったが…。知らないオッサンと喧嘩しても仕方がないので、そのままにしておいた。

 

 オッサンのお陰で、二人は会話すら無くなってしまった。

 

 誰か知っている方が居たら教えて欲しい。「カナ打ち」と「ローマ字打ち」どっちが早いのだろうか?

 ちなみに、どっちが早くても私は「カナ打ち」を続けます。なぜなら「私の場合、その方が早いからだ!」

 

 もう、ここまでくると、野球の打撃フォームと同じだ。変なフォームでも、その方が打てるのなら、それでいい。例え本当に「ローマ字打ち」が早くても、大きなお世話だ!小学生に「一本足打法」を教えるようなものだ。

 

 あの時のオッサン。今、どこで何をしているのだろう?「ローマ字打ち」が早い理由を何故言わなかったのだろう?謎のままだ!

 

 

 

 

津曲君も新幹線のオッサンも読んでいない、こちは大好評!心が現れる青春の日々!感動の上に馬鹿を乗せて、間抜けを重ねた様な、重箱おバカを楽しんで下さい。

ちなみに、このフレーズは、國學院落研の二年後輩・入船亭扇辰師匠の「徂徠豆腐」に出てきます。

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