放送業界のお話と落研と私的な思い出(瞳尻・黒舟)

「嗚呼!青春の大根梁山泊~東海大学・僕と落研の物語」スピンオフ・エッセイ。放送関係。業界のエピソードと近所の出来事

パチンコ番組の知識!

 私は、何故かパチンコ番組を多く手掛けている。「パチンコNOW2」(CBC)、「ビキニ DE パチンコ」「英語でパチンコ」「パチスロ・オール設定バトル」「テレビキングダム」(CS BIGチャンネル)、「パチンコ情報ステーション」(CS 単独放送局)、等がそうだ。

 

 私はパチンコに詳しくなかったが、番組を担当すると、次から次へと新しい知識がインプットされる。

 パチンコの奥深さを知り、台は芸術作品の様にアートで、技術の結晶だと知った。

 

 ある番組で、パチンコの父(神様)・正村竹一さんの存在を扱ったことがある。

 

 私が驚いたのは、今のパチンコ台の釘の配列は「正村ゲージ」と呼ばれていることだ。

 

 元々、コリントゲームと呼ばれるパチンコの元となる遊技機は、釘が均一に配列されていた。正村さんは、玉の動きを不規則にする為に、独自の釘の配列を考案したのだ。

 その様子は、正村さんの生涯を描いた「天の釘」という本に詳しく記されている。

 

 正村ゲージは、いままでの遊技機と違い、はね方に変化があり、エキサイティング。大評判となる。

 しかし、正村竹一さんは「特許」を取ろうとせず「仲間に無料開放」したのだ。後のパチンコ店の繁栄は、正村さんのお陰かも知れない(資料に書いていた通り、情報の横流しですが)。

 

 また、パチンコの大きさが何故今の形になったか?その理由が興味深い。

 正村さんは戦後すぐ、物資が無い時代にパチンコに使うガラスを求めて行脚するのだが、中々、数の揃ったまともなガラスが見つからない。

 そんなある日。農家の温室にガラスが使われていたことに気づいたのだ。農家を訪ねると、同じ大きさのガラスが大量に残っていた。これを買い上げてパチンコ台を作ったのだ。

 つまり、温室のガラスの大きさが、今もパチンコ台の盤面の大きさとして伝わっている。

 

 パチンコで大儲けした正村さんは、仕事の無い者たちにパチンコ店の経営を勧める。しかも、資金は全部正村さんが出して「釘の調整」も担当。

 借金は開業後に分割で返す方法をとった。この皆さんが、皆、大儲けして大富豪となるのだ。これは、今でいうフランチャイズである(今、資金0でフランチャイズは無いが)。

 

 正村竹一さんは、まさに「神様」。パチンコの製造、店舗、技術提供、「釘師」の元祖だったわけである。

 

 その後。正村竹一さんは人気番組「知ってるつもり!?」にも取り上げられた。今もネットで見られるのではないだろうか?

 

 私は、この放送を見ながら…。呟いた…。「俺は知ってたよ!」

 

 

パチンコとは何の関係もない、青春馬鹿爆発のせつない落研・落語エッセイ!

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