放送業界のお話と落研と私的な思い出

放送関係。業界のエピソードと近所の出来事

「スローなブギにしてくれ!」

 ある日。部室に居ると、三年生の実志(現・ディレクター・山崎)さんが言った。「「スローなブギにしてくれ」観に行こうぜ!」

 

 私が東海大学・落語研究部の一年生の頃(昭和55年~56年)。角川映画の「スローなブギにしてくれ」が封切られた。浅野温子さんのデビュー作で、いきなりヌードシーンがある話題作だ。

 片岡義男の原作は読んでいなかったが、テレビで頻繁にCМをうっていたので、時代にうとい私も知っていた。

 

 切奴(現・昇太師匠)さんが言った。「行こう! 行こう! 黒舟もこい!」

 

 私は嬉しかった。先輩に映画に誘われるのは、有力な部員と認められたからなのだ(と後輩はかってに思っている)。他の同期は先輩を煙たがるばかりで、同期だけで遊びに行っている者が多かった。私は、「こいつらチョット違う」と思っていたのだ。

 

 結局、三年生三人(飛鳥・元・マー坊さんも参加)と一年生の私の四人で映画を観たと思う。帰りに映画館で作品のアップリケを買った。四人がお揃いで買って、作ったばかりの落研スタジャンの腕に貼ることにした。このスタイルで春の慰問旅行(老人ホームを落語で慰問)に行くのだ。

 この時の慰問は、九州地区。小倉でパトカーをヒッチハイクした伝説の慰問だ(詳しくは「嗚呼!青春の大根梁山泊東海大学・僕と落研の物語~」完全版。有料・noteをご覧ください)。

 

 この時。実志さんが買ったばかりのウォークマン(当時、初めて発売)で、映画のテーマ「スローなブギにしてくれ」を聞かせてもらった。

 音楽を外で聞く体験は、当時の人間にとっては衝撃的だった。ステレオで聞こえると、小田急線の車窓から見える景色が映画のシーンに様に見えるのだ。

 まずは切奴さんが耳に装着した。

 切奴「うわ~! これ、町が映画みたいじゃね~か?」

 実志「そうだろう! 人生観変わるだろう? 黒舟も聞いてみろ!」

 私「うわ~! 本当だ! 町が映画だ~! ホームを女優が歩いている! 科学の進歩って凄いですね!」

 今、思えば原始人の会話である。

 

 時代は変わるが、春風亭一之輔のFМラジオ「サンデーフリッカーズ」(JFN)が始まってすぐの十年前。ゲストに南佳孝さんがやってきた。

 

 あの「スローなブギにしてくれ」を唄っていた、大物歌手である。私は、打ち合わせより先に、学生の頃映画を観た後、ウォークマンで初めて聞いた曲だと本人に告げた。

 

 すると、南さんは「スローなブギにしてくれ」のことは何も語らず。

 「当時の、ウォークマンって、こんなに大きかったんだよな! 俺も買ったよ~!」

 

 食いついたのはウォークマンの方だった。南さんはウォークマンの蘊蓄をずっと語っていた。歌手本人とファンでは感覚が違うのだと思った。

 

 この話を、昇太師匠にしてみた。すると、的確な答えが返って来た。

 「それは、どこに行っても「スローなブギ」のこと聞かれるから、もう、飽きてるんだよ! ヒット曲のあるスターはみんな、そうなんだよ!」

 「なるほど!」勉強になった。昇太さんも多分、地方などで「笑点」の話や昔の人気番組「よたろー」の話などをされて飽きているのだろう?

 

 今、思うと南さんがラジオに来た時も新曲とは別に「スローなブギにしてくれ」をBGМでかけたような気がする。本人は「またか、やめてくれよ!」と思っていたのかも知れない。少し反省である(かけたのはディレクターですが)。

 

 ふと、思うのだが。私は昔やっていた番組を「聞いてました」「見てました」と言われても、気にならない。むしろ嬉しい方だ。

 そこで、気が付いた。私はたいして売れていないからだ。

 本当に大ブレイクしたスターは「過去の話はうんざり」なのだ。普通に仕事をしていただけの私は、その感覚が無いのだ(職種が違うので一緒にするのも変だが)。

 

 私も早く「サンフリの話は、もう、するなよ!」と言ってみたいものだ。

 

「パトカーヒッチハイク」エピソードを含むエッセイ!

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