私は過去のどうでも良いことを鮮明に覚えていて感心されることがある。大学時代の記憶は特にそうである。多分、東海大学落語研究部の毎日が面白過ぎたからだろう。
しかし…。今、ふと!中学の柔道部時代を思い出したみた…。あれ?先輩と同期の記憶はあるが後輩を一人も覚えていない。居たかどうかも分からないが、逆に「後輩ゼロ」なら覚えている筈である。後輩の記憶だけがストンと抜け落ちている。
後輩を育てようという気がなかったのか?
先輩を思い出すと…。三年がKさん(細身でとても怖い人・初段)、Tさん(背が高くウエートがあり力強い投げ・初段)。二年がKさん(バランスの良い選手・初段)Iさん(格好良く技が切れる・初段)Oさん(限りなく低い背負い投げで大きな相手も投げてしまう・初段)Aさん(長身で内股にはいるとこらえても逃げられない・初段)。同期はU(背は低いがずんぐりむっくりで技はなんでも出来てしまう・初段)私(ガリガリで170センチ49キロ。逃げ回って持たせない外国人スタイルの卑怯な戦法で初段を獲得。まとしもに組むと黒帯なのに白帯相手に逃げ回る)K(筋肉のバランスが良く万能、運動神経がいい)O(筋肉量が凄い。バネがあり、初対戦の名選手から大番狂わせで投げて一本とった)等々。
やっぱり同期までは覚えている。「どうでも良いこと」を覚えている私なので、後輩は「どうでも良くなかった」のかもしれない。
レギュラーを脅かされる恐怖に記憶を消したのかもしれない。
大学落研時代は「面白い後輩」には温かい言葉をかけていたので、少しは人間が出来たのだろうか?「つまらない後輩」には厳しかったのも中学時代とは違う。
よし、かつて私が担当したラジオのハガキ職人の名前を思い出してみよう…。ゲーム山村、低気圧ボーイ、オマーン国際空港、梨畑長十郎、ライオネル・リチ夫…。スターはそこそこ覚えている。
中でも低気圧ボーイは、私と同じ先生の弟子になったことがある。すぐ、辞めてしまったが…。
今はスタッフの顔と名前なかなか覚えられない。有名人の名前が出てこない。目が痛くて本が読めない(ドライアイの上、眼鏡の度が変わってしまった)。
こいつは、大変である!
こりゃヤバい!