放送業界のお話と落研と私的な思い出(瞳尻・黒舟)

「嗚呼!青春の大根梁山泊~東海大学・僕と落研の物語」スピンオフ・エッセイ。放送関係。業界のエピソードと近所の出来事

父親が永眠した

 注意→識者の先輩から「身内は逝去ではなく永眠にするべき」と指摘がありました。

    タイトルなど書きなおしました。

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 1月1日にほぼ100歳の静岡の父親が永眠した。危ないと聞いて29日に田舎に帰ると、もう意識は無く苦しそうにしていた。

 医者は「今すぐ亡くなってもおかしくない状態ですが…数か月もつ可能性もあります」と言う。

 一度、神奈川に戻った。すると、元旦に「危なくなった」と電話。急いで新幹線に乗ろうとしたら、東京駅のホームで兄から「永眠の電話」があった。

 死に目には会えなかったが意識がなかったのと、ほぼ100歳なので「拍手」わ送りたい気分だった。

 

 正確には99歳と11か月半生きたことになる。100歳のお祝いの表彰状が時の首相、石破総理から届いていた。これには驚く!

 大正15年一月生まれの父は、桂米朝師匠、林家三平師匠、桂米丸師匠と同級である。

 それを考えると…。よく生きた!と思う。

 

 父は十代後半の戦争時代…。名古屋の軍事工場で高射砲の照準器を作っていたそうだ。軍の基準がうるさく、超精密な旋盤技術がないと通らなかったと自慢していた。

 旋盤工として優秀だったらしい…。

 

 ちなみに…。春風亭昇太さんの師匠・春風亭柳昇師匠が船上から高射砲を撃っている時、手を負傷している。聴いた話では「日本の高射砲はあまり当たらなかった」そうだ。

 その当たらなかった高射砲の照準器を作ったのが父親だと思うと…。なんだか、私的には伏線回収だ。

 

 父は19歳(二十歳?)で終戦となり戦争には行かなかったが…。同級生で戦争に行って亡くなった方もいたそうだ。ギリギリセーフで拾った命…。

 ほぼ100歳まで生きれば「万歳!」である。

 

 

 

 

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直木賞には程遠い、青春エッセイを皆様に…

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