放送業界のお話と落研と私的な思い出(瞳尻・黒舟)

「嗚呼!青春の大根梁山泊~東海大学・僕と落研の物語」スピンオフ・エッセイ。放送関係。業界のエピソードと近所の出来事

大学一年の頃…「池中玄太…」

 昭和55年。大学一年の時…。落研の二年先輩・実志さんが言った。「今日、池中玄太の最終回なんだよ!」「えっ!…?」隣にいた飛鳥さん(マー坊さん)が「あれ?黒舟!池中玄太見てねーの!それじゃあダメだよ!」「だから落語が下手なんだよ!」。なんだかボコボコだった。

 知らないのが罪で「時代遅れ」となっていた。当時、私はテレビを持っていなかった。ドラマなど見られるはずがない。

 その日は、先輩の家に泊まって「池中玄太80キロ」の最終回を見た。しかも、涙が止まらなかった。「鳥の唄」も「もしもピアノが弾けたなら」も心に刺さった。結局、一年後ぐらいに再放送で全話見たが、やはり、一人アパートで切なくなった。子供の頃「俺たちの旅」を見た後、意味もなく自転車で街を走って「青春って…いい~!」と実感した時以来の感動だった。

 その数年後「ふぞろいの林檎たち」に感動するのだが…。それ以来、ドラマに夢中になったことはない。いや「高校教師」は毎週見たが…。

 

 最近。真剣にテレビのドラマを見なくなった。ネットフリックスやディズニーチャンネルなどのサブスクに主役をとられた感じだ。

 

 しかし…。振り返って思うと…。ドラマを見ても落語は上手くならなかった。あの時の先輩の言葉は何だったのだろうか?

 今も先輩の言葉が聞こえてきそうだ。「だからコラムが下手なんだ!」ボコボコだ!