放送業界のお話と落研と私的な思い出(瞳尻・黒舟)

「嗚呼!青春の大根梁山泊~東海大学・僕と落研の物語」スピンオフ・エッセイ。放送関係。業界のエピソードと近所の出来事

知識を「いつ覚えたのか?」思い出してみた!

 63年の人生で「あの知識を得たのは?」いつ?と考えてみた。某元総理が間違えたことで有名になった「未曾有(みぞう)」は大学の経済学部のゼミで発表した時に覚えた。大学4年生なので、とても威張れない時期だ。

 

 「富士山は、一度登らぬ馬鹿!二度登るバカ!」と言われている。これは、小学校高学年の時の父親の言葉だ。元々地元静岡でお年寄りが言っていた定番の言葉だそうだ。理由は経験として一回は登るべきだが…二度登る程の良い所ではない」ということなのだそうだ。私は何度でも登りたいし、何度も登る方には申し訳ないが、地元住民の「ギャグ」として許してもらいたい。

 この話を酔った春風亭柳好師匠に言ったら…。「じゃあ、毎年、登ってる柳昇師匠は大馬鹿ですね!」と言っていた。さらに「あっ!このネタ「富士詣り」の枕で使っていいですか?」。元々柳好さんが考えたのだから当然OKである。

 

 「味噌汁は煮立てるな!」これは、25才ぐらいの時。同じ歳の天才放送作家Sさんに聞いた知識だ。

 新婚のカミさんが味噌汁をグツグツ煮ていたので注意したそうだ。その時、私は「えっ!いけないの?」と思っていた。なんでも、味噌は酵母が生きているので解いたらすぐ火を止めるのだそうだ(または火を止めてから入れる)。

 Sさんがカミさんの実家に行った時。やはり「味噌汁がグツグツ!」。それを見て、「そういう家なんだ!」と納得したそうだ。私の家と同じである。田舎はだいたいそうである。

 また、40才ぐらいの時。バーの隣に居た、新潟出身の美人女性に、この話をしたら…。

「我が家もに煮立てます。酵母が気になるなら薄めに煮立てて、最後に味噌を足せば良いでしょう!その方が美味しい」と、理路整然と言っていた。田舎擁護の素晴らしい言葉だ。

 

 「談志師匠は寄席の昼主任の時は、落語はやらない」。これは、大学1年の時。落研の三年生・おそ松さん(委員長・部長)が言った言葉だ(昭和55年)。

 当時、寄席の昼席はガラガラ。10人入らないのが普通だった。そんな時、談志師匠は30分の漫談で降りていた。

 私は一度、昼主任で談志師匠の「勘定板」を観たことがあったが、それは、異例だった様だ。

 

 このシリーズは思い出したら書くことにします。

 

 

 

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