放送業界のお話と落研と私的な思い出(瞳尻・黒舟)

「嗚呼!青春の大根梁山泊~東海大学・僕と落研の物語」スピンオフ・エッセイ。放送関係。業界のエピソードと近所の出来事

夢に出る柔道の試合…

 歳のせいか…。夢に昔の事が出てくる。50年前の中学の柔道の試合の夢だ。静岡県磐田地区・磐州大会の団体戦決勝。城山中学VS森中学(地域最強のチーム)。 

 私は一番手だった。中学生には少ない黒帯だったが体重が49キロ。無差別級の中学柔道では強くない部類だ。体の大きい白帯との試合では逃げ回って足をひっかけて、やっと勝つ卑怯な柔道を展開していた。

 そんな私が、この時、一番手で当たった相手は地区で一番強い黒帯だった。普通なら大将で登場する相手だが、向こうの監督は決勝だけ突然、強いヤツを一番にして楽に勝とうとしたのだ。

 私としては野球で敬遠された後の選手のような屈辱だ。しかも、この相手は左利き。私は右組なので闘いにくい。

 そこで私は、見たことのない技で相手を脅かす作戦に出た。組んだ瞬間。右組なのに左で技をかけたのだ。エリだけを持った一本背負い。これは、釣り手が無いし引き手も弱いので実際には投げることが出来ない。一つしか持っていないので、力の差で普通は入れない背負いに完璧には入れた。その瞬間、わが校の監督が叫んだ!「乗った~!」。たしかに一見投げそうな場面だ。しかし、片エリでは引きが弱い。今なら反則の偽装攻撃なので、崩れて寝技になり、防御した。

 この時の動きが相手をビビらせた。「こいつ、見たことのない技を出した…」と思ったのだろう。力の差から言うと、普通に内股をかければ私は投げられてしまうのだが…。相手はビビって内股をかけてこない。私が黒帯ということもあって何か秘策があると思ったのかもしれない。試合は意外にも長引いた。

 すると、相手の監督が「いけ!相手は逃げてるじゃないか!」と叫んだ。その瞬間、内股で一本をとられた。

 

 ここまでは、事実を再現した夢なのだが…。私は夢の中で名案を閃いていた、相手が左組なら、私もあえて左で組んで、技は右の袖釣り込み腰にすると言う案だ。これは、相手はもっとビビる。準決勝まで右組だった私が左で組んだら不気味だし。さらに、左で組んで右の技とは意外だ。しかも、袖釣りは釣り手も強く効く。

 実は50年前のこの頃。「袖釣り込み腰」はオリンピック選手でもやっていない幻の技だった。後に古賀俊彦さんが使って今は世界で流行っているが…。当時は、中学では私しかやっていなかった。私は「木村政彦の本」で、この技を知り練習していたのだ。普段は背負いや体落としだが、突然「袖釣り込み腰」をやると一本とれるのだ。しかも、袖釣りは通常受け身を取る手を持っているので危険な技である。

 私は夢から覚めても…。「そうか!相手がヒビってかけてこない時に、左組で袖釣りにすれば勝てたかもな!」と後悔していた。そして、冷静になって…今、思ってどうする!とバカバカしくなる。

 

 ちなみに、この団体戦は三対二でわが校が負けた。つまり、私が勝てば優勝できたのだ。

 

 夢は五臓の疲れだろうか?