放送業界のお話と落研と私的な思い出(瞳尻・黒舟)

「嗚呼!青春の大根梁山泊~東海大学・僕と落研の物語」スピンオフ・エッセイ。放送関係。業界のエピソードと近所の出来事

自宅から見る富士山と春風亭柳好師匠の言葉…。

 私の家の二階から、遠くに富士山が見える。七合目から先当たりなので、雪で真っ白である。

 私は最近。晴れた日はこの富士を拝むことにしている。願い事はしないが…。富士山はやはり信仰の山にふさわしい。

 

 私は静岡県の生まれだが、実は子供の頃はあまり富士山を見たことがない。地元は磐田市東海道・見附の宿場跡は遊び場だった(今はジュビロ磐田のスタジアムへと続くジュビロードと言われている)。清水の次郎長の兄貴分が仕切っていた街だ。東西が山になっているので富士山が見えないのだ。

 逆にもう少し西に離れると富士山が見える場所があるが、当時は無知なので「うちからは富士山は見えない」と思って暮らしていた。

 

 その為か、磐田市北小学校の六年の修学旅行で「富士山に初めて登った」。五合目まではバスで行って登ったが…時間がなくて七合目で引き返した。つまり、頂上は未だに行ったことが無い。静岡県人としては何とも失格である。

 

 富士山と言えば、春風亭柳昇師匠が毎年登っていたのが有名だ。一門を連れて登るのでほとんどの弟子は共に山頂を経験しているそうだ。

 聞くと…。師匠と一緒に富士山に登らなかった弟子は、春風亭昇太さんだけらしい。大学落研の先輩で静岡出身の先輩・昇太さんが登っていないのは、少し分かる気がする。当然、子供の頃登ったことがある筈だ。

 

 私の父親(97才)。によると「富士山は静岡では「一度登らぬ馬鹿。二度登る馬鹿」と言われてんだ!話の種に一度は行くべきだが、二度行く程いい所でもない」が地元の総意なのだそうだ。

 

 私は、この話を世田谷区経堂のアイドルといわれる春風亭柳好さんにした。すると、柳好さん「二度登るのが馬鹿ってことは、毎年、登ってるうちの師匠は「大馬鹿」ってことですね!ひゃー!ひゃっひゃっひゃー!これ、落語の枕に使っていいですか? 今度「富士詣り」やるんですよ!ひゃーひゃ!」(まだ柳昇師匠が存命の頃のお話)。

 

 柳好さんは、いつも天使の様に素敵である。奥さんが美人で頭脳明晰なのが分かる気がする。