放送業界のお話と落研と私的な思い出(瞳尻・黒舟)

「嗚呼!青春の大根梁山泊~東海大学・僕と落研の物語」スピンオフ・エッセイ。放送関係。業界のエピソードと近所の出来事

サンフリのテーマは「テレビの前の話」だったが…

 私が小学生の頃。初めてテレビのリモコンが登場した。我が家には導入されなかったが、新しもの好きのオジサンが購入した。

 

 オジサンの家は、母の実家。お婆ちゃんの家である。我々家族がお祭りか何かで遊びに行った時。オジサンは得意げにリモコンの説明をした。

 

 今、リモコンといえばボタンを押すと瞬時に変わるが…。初期のリモコンは押すと回転するチャンネルがモーターで右回りして、次の受信局まで回転するという半アナログのものだった。

 つまり、1チャンネルの時。一階押すと、ガチャガチャと回転して隣のチャネルに変わる。つまり、一気に10チャンネルや12チャンネルにすることは出来ないのだ。

 遠いチャンネルにするには、何度もボタンを押すことになる。せめて逆回転が欲しいところだが、それも無かった。

 

 はっきり言って、遠くのチャンネルにするなら歩いて行って手で回した方が早いのである。しかし、オジサンは得意げにガチャガチャと回した。

 そして、子供の私もリモコンで回してみた。「凄い!SFの世界だ!科学だ!」と感動したものである。

 

 みんなでリモコン遊びが終わりテレビを見ていると、私が何故かクシャミをした。「ヘックシン!」…。すると、ガチャ!ガチャ!何と!チャンネルが回った。爆笑が漏れた!「えっ!クシャミで変わるの」。私はもう一度、演技で「ヘックシン!」とやった、ガチャ!ガチャ!また変わった。

 何故クシャミに反応するのだろう?そこで、「ヘックシン」を分解して「へ」「ク」「シ」「ン」と一言だけ単独で言ってみた。すると「シ」に反応することが判明した。

 つまりリモコンは無くても口で「シ!」と言えばチャンネルが変わるのだ。こうなると、もう、リモコンなど使わない。みんな、「シ」「シ」とばかり言っている。

 もう、番組もどうでもよくなってしまった。

 

 初期のリモコンは「シ」と同じ波長の電波を出していたのだろうか?いまだに謎である。

 

 しかし、言葉で反応するなんて「OK!グーグル!」「アレクサ!」と同じ感覚だ。私は50年以上前に言葉で操作する感覚を知っていた。

 時代の最先端である。

 

 今なんとなく「OK!グーグル!シ!」と言ってみた。反応がない。まったくシャレの分からない奴だ!

 

 

 

 大学一年の頃。テレビが無かった。先輩に捨てるテレビをもらったら、画面が横半分縮んで映るものだった。

 この横が半分縮小された画面で第3回「全日本学生落語名人位決定戦」を見た。なんだか分からなかった。法政大学の落研が優勝(名人)になった。

 数十年後。分かったのだが…。歌う放送作家植竹公和さんが「あの時。法政の後輩は大会前に俺のところに稽古にきたんだよ」と語っていた。

 この学生は上方でプロになり、ラジオの放送中か放送直後に突然亡くなった。そんなことを思い出した。その頃のエッセイ!

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「嗚呼!青春の大根梁山泊~放送業界編~」も出てます。

 

直木賞には程遠い、青春エッセイを皆様に…

安いです。上→200円。中→300円。下→300円。

「放送業界編」800円(高そうに見えますが、上中下に分けていないので、枚数と値段は同等です)

 

放送作家で専門学校の先生・下村稔さんが「上」に登場する「初めての下宿の描写」を褒めてくれました。私としては意外な部分でした。落研入部前の不安な若者の描写が良かったそうです。

 

「青春落語バカの楽しいエピソード」有名劇団の主催者や脚本家、演出家絶賛!

社会人落語の大御所・若木家元翁(元治ー)さん(国学院OB)、フリーターアナ・森たけしさん、神奈川の先生・木馬さん、山梨の大学で語学を教える、とんぼさん、も読んだかどうかは分からない名作エッセイ!

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https://note.com/bakodayo1874basu