放送業界のお話と落研と私的な思い出(瞳尻・黒舟)

「嗚呼!青春の大根梁山泊~東海大学・僕と落研の物語」スピンオフ・エッセイ。放送関係。業界のエピソードと近所の出来事

喰始さんへのリスペクト!

 私の師匠だったMと同世代に、放送作家で「ワハハ本舗」劇団主催・作・演出で有名な喰始さんがいる。

 斬新な発想のコントですい星のごとく現れた天才である。日芸の学生時代に、はやくも「ゲバゲバ90分」のコントを手掛けている。しかも、第一回のほとんどのコントが喰先生の作だったそうだ。

 

 私は劇団の看板女優・久本雅美さんのラジオの構成に参加していたこともあって、打ち上げでご一緒させて頂いたことがある。

 同じ空間に居られるだけで幸せな存在である。

 

 私が放送作家になって10年ぐらいたった頃か…。地方の番組で喰始さんと同じ番組の構成をしたことがある。

 会議で私の案を喰先生が採用してくれたのを、今でも覚えている。

 

 そんなある日。地方のバーで偶然・喰始さんと一緒になった。マスターと喰さんと私だけで朝まで飲んだ。

 その時は、喰さんが昔、井上陽水のコンサートの構成をしていた時の話を聞かせてくれた。そして、凄いことを語ってくれた。「実は日本初のプロモーションビデオを撮ったのは僕なんだよ!」「ええ~!」

 井上陽水さんの「夢の中へ」のプロモビデオを発案して、自分で撮ったそうだ。私が子供の頃に見た、階段を色々な人が昇ったり降りたりする映像に曲がマッチしている有名なプロモVだ。

 何故か柔道着の男が階段をランニングしていたり、その隣をOLやサラリーマンが歩くのがコミカルだった。

 

 それまで「プロモビデオ」が存在しなかったのも驚きである。

 

 さらに「この前、IYにお金借りようとしたら、断るんだよ!昔、散々お世話になったくせに!」と笑いながら話していた。

 

 そして、帰り際…。喰始さんは私に言った「君も長くやってるみたいだけど、仕事で一緒にならないね!」私は心の中で「同じ番組やってましたよ!」と思ったが…。そこは、心にとどめておいた。

 

 私がエッセイを書く時の筆名は「瞳尻(ひとみしり)」としている。これは、喰始さんの二文字をマネしている。

 さらに、東海大学落語研究部の一年後輩に、沖縄出身の頭下位亭独尻(どっしり)という、ずんぐりむっくりした男が居た。彼の「尻」を貰って、「目じり」ならぬ「瞳尻」としたのである。

 

 

 

 大学生の頃。劇団「東京ボードビルショー」が人気だった。その時、作・演出をしていたのが喰始先生だ。まさか、本人と会うことになるとは予想もつかなかった頃の青い大学生の日記。

        ↓

宣伝。ネット書籍「嗚呼!青春の大根梁山泊東海大学・僕と落研の物語~」上・中・下

 

「嗚呼!青春の大根梁山泊~放送業界編~」も出てます。

 

直木賞には程遠い、青春エッセイを皆様に…

安いです。上→200円。中→300円。下→300円。

「放送業界編」800円(高そうに見えますが、上中下に分けていないので、枚数と値段は同等です)

「青春落語バカの楽しいエピソード」有名劇団の主催者や脚本家、演出家絶賛!

社会人落語の大御所・若木家元翁(元治ー)さん(国学院OB)も読んだかどうかは分からない名作エッセイ!

      ↓ 

 https://note.com/bakodayo1874basu