放送業界のお話と落研と私的な思い出(瞳尻・黒舟)

「嗚呼!青春の大根梁山泊~東海大学・僕と落研の物語」スピンオフ・エッセイ。放送関係。業界のエピソードと近所の出来事

西郷輝彦さん、ありがとうございました!

 先程、昭和の大スター・西郷輝彦さんの訃報を知った。

 

 私が行きつけのお店は、西郷さんと数件が重なっていたため、店で偶然一緒になることがあった。共通の知り合い・陶芸家の先生の紹介で隣で飲ませて頂いたこがある。

 小学生の時。ドラマ「どてらい男」を毎週見ていただけに感動的な時間となった。このドラマには笑福亭松鶴師匠も出演していた。サスガに当時のドラマの話は聞けなかったが、とても優しく、何とも気さくで、穏やかに我々の話を笑ってくれる方だった。

 

 私は酔った勢いに任せて「春風亭一之輔のFMラジオ「サンデーフリッカーズ」(JFN)のゲストに来て頂けませんか?」と言無謀なことを言ってしまった。

 私はサスガにマネージャーから断られるだろう?と思っていたが…。

 

 数日後。ご本人から直接電話で「ラジオ、出ますから!」と電話を頂いた。しかも、生で朝の六時半入りにも承知して下さった。

 今思うと…。そこまでの大物は別日の録音が筋なのだが…。当人は何の不満も言わず楽しそうに出演してくれた。

 しかも「あれ!録音でも出来たの?しまったな~!あはは!」と笑顔を見せていた。

 

 記録によると…。出演したのは、9年前の2月…。

 

 西郷さん。あの時は本当にありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします。