放送業界のお話と落研と私的な思い出(瞳尻・黒舟)

「嗚呼!青春の大根梁山泊~東海大学・僕と落研の物語」スピンオフ・エッセイ。放送関係。業界のエピソードと近所の出来事

「サンデーフリッカーズ」は私にとって最後のラジオなのか?!

 先日。三十年前の某ラジオディレクター(超敏腕)に会った。今は別の仕事をしている人だ。昔の話をしていると、私も楽しくなってしまい…。普段、言わないようなことを口にしてしまう。

 〇〇「小林さんは定年がなくていいですね」

 私「昔仕事をしていた局の人が、みんな退職して…もう、新しい番組はやらないような気がしますよ」

〇〇「また、〇☓行ったらどうですか。DもAD〈YDか?〉も昔と同じ〇〇さん、〇〇さんがやってたり、アナの〇山も現役ですからね!」

 

 ADの〇〇さんなどは、退職して再就職で今も働いているそうだ。この方は私より三つ年上で、ミュージシャンのラジオを一緒にやったり、昔よく飲みに行った人だ。

 数年前。一度限りの特番で、この局に行った時。局の喫茶店でこのADさんに会ったことがある。その時「一度、退職してやってるから安く使われて大変だよ」と語っていた。高齢化社会の縮図なのか、腕の良いスタッフを安く使うには元気な退職者がターゲットになっている様だ。

 この方は、他のADさんと違い、年下のDに指示したり、助言したりできる存在だ。先輩なのでみんな敬語を使う。皆さんが思うタイプのADではない。私など会うと「おや!小林少年!久しぶりだね!あっ…もう、少年じゃないか!」等と言われてしまう(実際は、初めて会った時が23才なので少年ではなかったが…)。

 

 私が今構成している、あのラジオ番組では、20歳のスタッフが居る程、年齢が若い。私が最年長者である。局によって(番組によって?)こんなにも環境が違うのかと驚く。

 

 しかし、チョットだけ…ホットとした。将来、退職者を集めた制作会社が誕生するかもしれない。いや、すでに誕生しているのかも知れない。

 「経験豊富な腕のある老人を格安で派遣するビジネス」確かにありだ。後、二十年もしたら「格安の老人放送作家集団」で勝負してみようか?(まだ、やる気かよ!)

 

 

 

 この仕事をするとは、まったく思っていなかった大学生は、この頃、女子プロレスラーの赤城まり子さんと試合をした。レフリーはタモリさん(オールナイトニッポンをやっていた頃のタモリさん)だった。テレビ番組の企画で「プロレス研究会」が女子プロと試合をしたのだ(「プロ研」は落研がシャレでやっていた架空のクラブだった)。

 この時は春風亭昇太さんも学生レスラーとしてボコボコにされていた。

 赤城まり子さんの髪の毛を持っての首投げは切れとパワーがあり。柔道初段の私だが、早すぎて受け身も取れなかった。舞台は目黒の女子プロの事務所だ。番組は何故か「ドレミファドン」だった。放送は見ていない。当時、私の下宿にテレビは無かったし、放送日は教えてもらえなかった。今でも見てみたいと思う。誰か昭和55年のプロレス研究会が試合した「ドレミファドン」のテープを持っていないだろうか?しかし、何のコーナーだろうか?イントロの要素がまるでないロケである。

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直木賞には程遠い、青春エッセイを皆様に…

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