局の四階にあったテレフォンセンターと言う部屋に入り、Oさんが言った。
「こいつ、小林っていうんだけど、見学させてやって!」
「おや! 弟子とったんですか?」
「いや、弟子じゃない。頼まれたんで見学! 小林!コーヒー買って来て!」
自販機でアメリカンの紙コップのコーヒーを買ってくると、煙草を吸いながら原稿用紙を広げて書き始めるOさん。私は何もわからず、だだ見ていた。
私はOさんの動きにチョット驚いていた。今日、これから生放送だと言うのに、局に来てから台本を書き始めたのだ。
私は原稿は家で書いて来るものだと思っていた。実際、私は今も昔も原稿は家であげているが、当時、売れっ子の放送作家は喫茶店や放送局で本番直前まで台本を書いている人が多かった。
今書いてすぐ放送して、さらに面白いと言う天才的な才能が要求されていたのだ。私には真似のできない凄い能力である。
このOさんは、アナウンサーが話す様な流れの台本(構成台本)が上手いかたで、四谷・B放送の某月~金の帯番組では、Oさんの台本は他の作家の手本になっていると聞いたことがある。
そこに、大物プロデューサーのМさんが入って来た。かなり威圧的な感じである。
「おい!O!原稿まだか?後、三十分したら見せろ!」
「はい!は~い!頑張りま~す」
「つまんなかったら、クビだぞ!」
その後、原稿は一時間ほどかかったような気がする。Мさんは怒っていた。
「バカ野郎!原稿遅いんだよ!見せて見ろ!」
急いで読んだМさんは「よし!これで良い!オープニングコントは?」
「これから書きます!」
「バカ野郎!コントが一番心配なんだよ!早くしろ!」
本番まで後、一時間半程。ここでまだオープニングのコントが出来ていなかったのだ。Oさんは原稿用紙を広げると「そう、あせらずに…」と、コーヒーを飲み、煙草に火を付けた。
本当に間に合うのだろうか? 見学している私が心配になってしまった。
結局、その日は放送の十分前にコントの台本が上がり、そのままコピーされることになった。
放送が始まり、コントが終わって、タイトルコールとなった。
「今夜も新事実!ヒ〇ン〇の謎!МYのYP~」
そう、この番組は当時、ラジオ界で聴取率NO1に輝いたばかりの「YP」だったのだ(YP以前は、B放送のYTさんが最強で聴取率1位を続けていた。それを逆転したのがYPだったのだ)。
私は思った。こんな、怒鳴られる仕事はしたくないな!
上の文章は、このエッセイの続き。業界編の冒頭(未完成)です。まずは、こちらを読んでから…。
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