放送業界のお話と落研と私的な思い出(瞳尻・黒舟)

「嗚呼!青春の大根梁山泊~東海大学・僕と落研の物語」スピンオフ・エッセイ。放送関係。業界のエピソードと近所の出来事

東海大落研のバイト

 私は東海大学落語研究部時代。ほとんどバイトをしたことがない。父親は静岡県磐田市の専売公社の工場勤務だったので極普通の家庭である。

 地方の社長の息子・娘が多い東海大生としては貧乏な方だった。

 

 しかし、落研生はあまりアルバイトをしない。三年まではクラブが面白過ぎてバイトなどやっている場合ではないのだ。

 お金が無い時は、先輩が奢ってくれるので食べるのには困らない。二つ先輩のおそ松さん(現・新潟の住職)などは、学生金融で借りたお金で後輩にご飯を食べさせる程だ。

 私が一年の時の女性の四年生・茶乱(ちゃらん・卒業後・高校教師)さんは「茶乱定食」という言葉がある程、後輩に手作りでご飯を食べさせていた。

 単なるコロッケ定食らしいが、珍しく風呂付に住んでいた茶乱さんの下宿には(下宿というより民家の二階を借りたような物件)後輩たちがお風呂を借りに集まる。その後輩たちの湯上りに「茶乱定食」をご馳走するというのだ。

 私も一度だけ、お邪魔したことがあるが(多分、切奴(現・昇太)さんと行った)、やはり「茶乱定食」を出してくれた。

 後に聞いた話では、青山学院落研で茶乱さんと同期の料亭花柳(りょうてい かりゅう・現・彦柳として素人落語を続けている)さんも「茶乱定食」を食べたとか?

 

 今思うと、卒業後、住職や教師になったのもうなずける。

 また、他の先輩達も金が無ければ基本は奢ってくれる人ばかり。落語の若旦那の様に働かなくても食っていける環境が整っていたのだ。

 

 落研の中でも特にグウタラの私はバイトを全然しなかったのだが、ある日、二年上のて貞車(ていしゃ)さんが言った。

 「黒舟! 俺、バイト辞めるから、代わりに一週間だけ「磯弁慶」でバイトしろよ!」(「磯弁慶」とは部員がよく行く炉端焼き屋で、店でプロの「落語会」も開いていた)

 この店のカウンターで私が飲んで居たら、隣に座った人が「強情灸」という落語を始めてビックリしたことがある。その人はプロの若手落語家で営業できていたのだ。しかし、カウンターの席に座って焼き場の店員に向かって落語をやっている。客は背中か真横から見ている。

 メインの客は焼き場の店員という不思議な形だった。

 

 「貞車さん 僕、バイトしたことないんですけど…」

 「大丈夫! 皿洗いだから誰でも出来るんだよ! 一週間で辞めていいから!」

 後輩に断る権利はない。貞車さんは私に初めて小噺「おい! 源さん」を教えた先輩だ。恩に報いなくてはいけない。

 

 私はバイトに向いていない。出来れば「一生落研で居たい」と真剣に考えていた程、働きたくない人間だった。

 しかも、「炉端焼き屋・磯弁慶」の板長に学生のバイトと言う感覚はない。

 一週間、皿洗いして辞めるつもりの私なのに、板長は

 「おい! 黒舟! 包丁持ってみろ!」

 「はい!」

 「バカ野郎! 日本食の包丁の握り方は! こうだ! 覚えとけ! カツラ剥きやってみろ!」

 私を板前を目指す若者と同じ感覚で指導するのだ。最悪である。

 

 営業中は新人なので「皿洗い」だけだが、先輩の焼き場担当も命令口調で接してくる。しかし、そいつも学生のバイトで年下だった。

 

 私が皿を洗っていると、板長が言った。

 「黒舟! 皿だせ!」

 何だかわからず、近くに有った皿を出すと…。

 「バカ野郎! これは単品焼き物の皿だ! 刺身はこっちだ!」

 私はこの手の職人が苦手だ。どの皿を使うかなど教えもせず、今日入ったバイトが分かる訳がない。

 板長からしたら「見て憶えろ」。「使える奴なら教えなくでも憶える筈だ!」と言った理論である。私はこの手の仕事が特に苦手である。

 

 私はキッチリと一週間バイトすると、すぐに辞めた。板長は「一人前にしてやろうと思ったのに…。辛抱できないのか?」と、悲しそうな顔である。

 どうやら、先輩の貞車さんがかってに「一週間だけ」と言って私を騙した様だ。

 流石は落研。「や~い! 騙された~! はまり! はまり!」と、先輩の声が聞こえて来そうである。

 

 ある年末。貞車さんが私に言った。

 「黒舟! 俺、魚屋のバイト辞めるんだけど、大晦日までの一週間だけ、やってくれよ! 」

 「またですか?」

 「大晦日、田舎帰らないだろう? 頼んだよ!」

 後輩に断る権利はない。貞車さんは私に初めて小噺「おい! 源さん」を教えた先輩だ。恩に報いなくてはいけない。我々落研の忠誠心は異常である。

 

 年末の一週間。とあるスーパーの魚屋でバイトすることに成った。このバイトには、三年上の仏頭(ぶっとう)さんと、二年上の二十八号さんが居た。二人はバイトながらベテラン魚屋として近所の主婦に人気となっていた。

 

 仕事は魚の切り身などの売り子。買ったものを暗算して、値段を打ち、シールを張るのだ。

 この暗算が私は苦手で、時間がかかる。「鮭の切り身、三つ下さい」このぐらいの注文なら良いが、客はさらに「タコの刺身と金目切り身を二つ」などと言ってくるのだ。

 当たり前たが、私にはストレスである。鮭の切り身は170円。私からしたら「100円か200円にしてくれ! 計算がめんどくせえ!」となってしまうのだ。

 

 仏頭さんと二十八号さんは計算が速く、瞬時に値段の合計を出しシールを貼ってゆく。私はその三倍は時間がかかるのだ。

 しかも、一度、ゼロを一桁多く打ってしまい。レジで驚いた主婦から苦情が来た。1500円の刺身が15000円になっているのだ。

 優しい主婦だったので、笑っていたが。私はただ謝るしかなかった。

 

 さらに、困るのは主婦達の質問だ。

 「このタラはどうやって食べたらいいの?」

  「えっ!」そんなもの、私に分かる訳がない。しかし、先輩の二十八号さんが助け船を出してくれた。

 「奥さん! 昆布だしで白菜と入れてポン酢で食べてみなよ! 最高だから! 旦那がよろこぶよ~!」

 「やってみるわ!」

 

 流石は物知りの二十八号さんだ。とても学生の会話とは思えない。主婦もベテランの魚屋だと思っているのだ。

 「先輩、魚に詳しいんですね?」

 「適当だよ! 何か言っとけばいいんだ!」

 私は世渡りというものを学んだ!

 

 戦場の様な販売を続けていると、とある若い主婦が色気を出した声で私に言った。

 「ねえ! お兄さん! このお刺身負けてよ! お願い!」

 

 私は困ってしまって「すいません、負けてくださいって言うんですが…」と、裏の経営者達に相談した。すると、魚屋のナンバー2の親方が言った。

 「黒舟に任せた!」

 「えっ! いいの?! じゃあ、3000円の刺身盛りだから、2800円!」

 主婦「もう、ひと声!」

 「じゃあ、2500円」

 主婦「もうひと声!」

 「えい! 2000円!」

 「あんた、良い男だわ!」

 主婦は喜んで帰って行った。

 

 次の瞬間。ナンバー2の親方が鬼の形相で私を呼んだ!

 「黒舟! 今、いくらで売った?」

 「2000円です」

 「バカ野郎! 元とれね~だろうが~!」

 これには私も怒ってしまった。

 「だって、今、「任せた!」って言ったろう!!」

 

 空気が止まったが、ナンバー2はそれ以上は言わなかった。

 

 仏頭さんと二十八号さんが言った。

 「黒舟は短気だな!」

 私はずっとおっとり型のボーっとした人間だと思っていた。実は短気だったと知った瞬間である。

 

 私は真面目過ぎて、人の話をそのまま信じてしまうのだ。魚屋さんの中では「任せた!」と言っても、100円か200円しか負けてはいけなかったのだ。

 職人気質の人は、そういった決まりを新人に教えてくれない。怒られながら憶えるのが昔のやり方なのだ。

 これは、落語家の前座と同じなのだと思う。私には、もっとも向かない環境である。

 

 さらに、驚いたのは閉店間際である。親方が合図すると、刺身の値段を張り替えるのだ。しかも、昼間より高くつけるのだ。

 私は意味が分からなかった。普通、閉店間際は安くなる筈だ!

 

 見ていると、「閉店セールだよ! 2500円の刺身を2000円!」

 見るとさっきまで2000円で売っていたものに2500円のシールを貼っている。つまり、同じ値段で売っているのだ。

 

 この閉店セールは飛ぶように売れた。

 これは、軽い詐欺だ! 大人は汚い! と思ったものだ。尾崎豊なら、盗んだバイクで走りだし、校舎の窓を割っているところだ。反町隆史なら、♪こなん世の中じゃ~ポイズン~♪である。

 

 バイトが終わり。各自、好きな刺身を一つ貰って帰った。とある駅で乗り換えると、向こうから、切奴(現・昇太)さんとおそ松さんが来た。二人はデパートの缶詰屋さんで年末だけバイトをやっていた。聞くと同僚は女子大生だという。服が魚臭くなる我々とは雲泥の差。夢の様なバイトだ。

 私は魚屋のバイトを紹介した貞車さんを憎んだ。私も女子大生と缶詰を売りたかった。バイト一つとっても人生には明暗があるのだ。

 

 私は大晦日まで、きっちりと一週間魚屋のバイトをすると、すぐに辞めた。

 私はあわただしい仕事に向いていないのだ。

 

 

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