放送業界のお話と落研と私的な思い出

放送関係。業界のエピソードと近所の出来事

法政落研OBの放送作家・Uさん

 私が新人放送作家だった頃。事務所が乃木坂だったので六本木界隈をよく歩いていた。すると、六本木の街でよくすれ違う先輩放送作家がいた。

 

 この方は、六本木にある別の事務所所属の作家なのだが、法政大学落語研究会のOBということもあり、面識だけはあったのだ。

 私が挨拶すると、いつも笑顔で答えてくれた。

 

 この方は「歌う放送作家」としてラジオのパーソナリティも務める植竹公和さんである。この方はインテリで、名門の函館ラサール出身。ギターも弾けて作詞・作曲も出来る才能を持ちながら、字が誰よりも汚いというオチャメな方だ。

 

 大学時代、植竹さんは「お笑いスター誕生」で素人初の十週勝ち抜きチャンピオンとなったギャグシンセサイザーのネタを書いていた。

 さらに、偽物の落語家として水道橋の旅館でお座敷に出ていたことがあるという。とにかく、生い立ちが面白い人なのだ。

 

 当時、植竹さんは「オレたちひょうきん族」や片岡鶴太郎さんの番組など大きな仕事をしている憧れの先輩だった。しかし、事務所も違うし仕事での接点は無い。

 いつも、挨拶だけをする関係だった。

 

 ある日。この植竹さんから電話があった。

 「テレビ神奈川の番組なんだけど、手伝ってくれない?」

 「やります! ありがとうございます」

 

 六本木交差点近くの喫茶店「クローバー」で話を聞くと、横浜そごうから生放送で、長江健次さんとジャドーズ(お笑いもできるミュージシャン)が司会の公開生番組だという。

 「ギャラは安いんだけど…俺も驚くほど安いから」と言っていたが、事務所の違う縁もゆかりも無い私に声をかけてくれたのはとても嬉しかった。

 

 この仕事の打ち合わせの後などに、植竹さんには飲みに連れて行って頂いた。

 

 植竹さんは、大学生の頃。「素人モノマネ番組」の常連で各局で優勝経験がある人だった。そこで、子供の頃、私が面白いと思った「素人モノマネ」の話をしてみた。

 「僕が子供の頃…。海外ドラマの「コンバット」のオーブニングのマネをする素人が面白かったんですけど、大会で一緒になったりしませんでしたか?」

 「おっ! 「コンバット」? それは、俺だよ!」

 「ええ~! そうだったんですか? あの、テーマソングを口ずさんで、俳優の名前をナレーションで言うやつですよね?」

 「♪チャチャチャチャッチャ~チャ~チャッチャッ、チャッチャチャッチャチャ~!「コンバーット」…ビッグ・モロー!」

 飲み屋のカウンターで生でやってくれたのだ。確かに、本物だ!

 

 この植竹さんは、すぐに演じることが出来る人で、先輩作家の水谷龍二さんが「タクシーの中で植竹さんの落語を一席聞いたことがある」と言っていた。しかも、名人・三遊亭円生のモノマネで最後まで一席やったそうである。

 

 横浜の番組から二十年以上たったある日。テレビ東京の正月特番で「芸能人が落語をする」番組を担当することになった。この仕事は、東海大落研の先輩、実志(じっし・ディレクター山崎)さんが紹介してくれたものだ。

 その番組のチーフ作家が植竹公和さんだった。

 

 私は落研関係の先輩の世話になってばかりいる。半分冗談で「私は職業落研です」と言う程だ。フリーの仕事は人脈程ありがたいものはないのだ。

 

 打ち合わせの後。植竹さんと別れて、私は軽く食事をして帰ろうとしていた時。道の向こうから何かブツブツ言いながら歩いているオジサンがいる。見ると植竹さんだ。

 あまり熱心なので声をかけられなかったが、名人・円生の口調で話していたような気がする。多分「鼠穴」。人情噺の大ネタだったと思う。

 

 植竹さんは、本当に落語を愛している人なのだと思う。

 

 いつかまた、一緒に番組をやりたいものだ。

 

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