放送業界のお話と落研と私的な思い出(瞳尻・黒舟)

「嗚呼!青春の大根梁山泊~東海大学・僕と落研の物語」スピンオフ・エッセイ。放送関係。業界のエピソードと近所の出来事

何だ!この落研!飲食の変な決まり!

 私は昭和55年。東海大学落語研究部に入った。クラブでは先輩達とご飯を食べることが多かった。ある日、先輩が…。

 「真田苑、行くぞ!」と言った。

 「何ですか?」

 「知らないのか? 真田苑を知らないと落研じゃねえぞ!」

 

 真田苑とは大学近くの中華料理店で、いつも、学生であふれていた。店内は全て座敷で大きなテーブルを囲んで、クラブ単位で飲食が出来るのだ。

 

 私はメニューを見て「ナスの定食」と言った。すると、2年生の談坊(ダンボウ)が烈火のごとく怒った。「バカ野郎! 一年生がナスは生意気だ! 「肉辛子」にしろ!」

 私にはまったく意味が分からない。理由を聞くと、「ナスの定食」はクラブの有力OB・初代・甘奈豆さんの好物なので、後輩が頼んではいけないと言うのだ。

 「何ですか、その決まり?!」

 「これは、クラブの伝統だ!」

 

 いくら応援団が作ったクラブとは言え、またもや理不尽だ。しかも、値段を見ると「ナスの定食」も「肉辛子」も値段は変わらないのだ。

 

 同じ一年生の押忍(オッス・元岩手の高校球児)が「僕はチャーハン!」

 2年の談坊さんは、またも怒った。

 「バカ野郎! 料理はみんなで分けて食べるから、チャーハンは禁止だ~!」

 

 この説明でやっと納得がいった。全員で料理は分けるので1年も全品食べられる。しかし、頼む時だけは先輩の威厳を示すために好物を頼むのだ。落語家の出囃子が決まっている様に、落研の食事も何を頼むか決まっていたのだ(なんともクダラナイ)。

 

 その後。遅れて来た1年の女子部員が言った。

 「私、五目チャーハン」

 

 私は2年の談坊さんを見た。すると、息をのんで何も言わない。男子が頼んだチャーハンで怒ったのに…。もっと高い「五目チャーハン」(正しくは不明)なのに女子だと怒らないのだ。この男…。

 

 しかも、この2年の談坊さんは、夏合宿が終わると文化祭の準備もせずクラブを辞めた。2年生は4人居たのだが、春だけ威張り散らしたうえ、男3人が夏に辞めた。

 残った2年生は女性一人だった。

 クラブの理不尽以上に、2年生は理不尽だった。

 

 後で4年生の先輩とこの店に行ったら「そんなの、好きな物頼みなよ!」と言っていた。「変な決まり」は誰かが勝手に作って「一人歩き」することを知った瞬間である。

 

 先輩に連れられて、小田急相模原の駅を降りると伝言板に「「秀吉」に居る。独坊(どくぼう)と書かれている」(この先輩は大学に8年在籍して中退した伝説の男である)。三年生のおそ松(委員長・現・新潟の住職)さんが言った。

 「先輩が来てるから、秀吉だ!」

 

 携帯電話等ない時代は、駅の伝言板が唯一の連絡の手段なのだ。電話すらほとんどの部員は持っていなかった。そこで、OBが遊びにくると伝言板に店を記す。

 すると、クラブのメンバーは集まらなくてはいけないのだ。原住民の「のろし」みたいなものである。となると、OBは酋長か?!

 

 「秀吉」とは部員がよく行っていた焼き鳥屋さんだった。

 

 店に着いて私が「焼き鳥」を頼むと。おそ松さんが言った。

 「生意気だな! 一年生は「豆もやし」しか食べちゃダメだ!」

 「あれれ! またか!?」(心の声)

 

 実は定食屋では好きな物を頼んでいいのだが、飲み会で1年生がかってな「つまみ」を頼んではいけない。これは、本当に「決まり」だったのだ。

 理不尽だが、この手の掟はどこの大学にもあった様だ。明治大学落研の一年生は、居酒屋に入ることが禁止で、先輩が飲み終わるまで店の外で待っていたそうである。

 

 私が「秀吉」で焼き鳥を食べられたのは三年生になってからだ。1年に唯一許されていた「豆もやし」さえ一本づつ食べていた程だ。

 観察すると、3年生のおそ松さんも、切奴(きりど・現・春風亭昇太)さんも、焼き鳥はほとんど食べていなかった。

 

 しかし、腹ペコでも先輩達の飲み会トークは圧倒的に面白い。爆笑が店内中に渦巻いて、「つまみ」のことなど忘れて楽しめるのだ。中でも独坊さんのトークは我々だけでなく、店に居た他の客まで笑い出す程の魅力に溢れていた。

 この空気とギャグにいつまでも触れていたい。そして、いつかその会話に自分も合いの手を入れて「ウケて」みたい。後輩はいつも、そう考えていた。

 

 実は、飲み会で後輩が言葉を挟むと「十中八九」シラケていた。間とギャグの精度が低いのだ。「飲み会」で間と空気を学んだ者だけが、高座でもウケるのだ。

 

 ここで空気の読めない一年生の女子部員が言った。

 「私、たぬき丼食べたいです」(天カスにタレがかかっているだけの丼)

 私はおそ松さんを見た! すると息をのんで何も言わない。OBの独坊さんが言った。「たぬき丼、いいな~! お父さん! この子にたぬき丼! やっぱり、つまみはたぬき丼だよな!」(一同・賛同のリアクション)

 

 何だ! このクラブ! 伝統的に1年の女子部員に弱い人達だったのだ!

 

 私は今も飲み屋で「つまみ」を頼むのが苦手である。この時のトラウマなのかも知れない。

 

 ちなみに「真田苑」も「秀吉」も現在は無い。部員達の心の中だけにある思い出のお店である。

 

 

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