放送業界のお話と落研と私的な思い出(瞳尻・黒舟)

「嗚呼!青春の大根梁山泊~東海大学・僕と落研の物語」スピンオフ・エッセイ。放送関係。業界のエピソードと近所の出来事

ドラマみたいな女性作家!①

 30年位前。名古屋の音楽番組に新しい放送作家が入って来た。Aさんと言う女性作家なのだが、20代にして大きな番組を何本も担当するやり手である。

 

 この人はいつも不思議な運(波乱万丈な運)を持っている。話を聞くと…。元々、作家になるつもりはなかった様だ。

 

 彼女は高校時代に事故にあい。寝たきりになったと言うのだ。医師の診断は「植物人間」一生目を覚まさない。と言われたそうだ。しかし、当人の脳は動いていて、その会話を聞いて「違う! 私の脳は動いている」と思ったそうだ。医師と家族がその会話をするところを本人が聞いていたが、体がまったく動かなくて反応できなかったそうだ。

 「植物人間の逆で「脳」から神経が伝わっていなかった」のだ。

 

 その状態が長く続き、家族もあきらめかけた頃。突然、指の先が動くと、急激に感覚が戻ったそうだ。その驚異の回復に病院中が驚いたという。その時、サザンオールスターズの曲がかかっていたと言う。音楽の刺激が神経を繋げたのだろうか?

 そのまま、障害もなく退院した。本人の話によると、「脳波を図ると今も普通の人と違う」らしい。しかし、日常生活には何の不自由もない健康体である。

 

 この事故を克服した時。Aさんは「一度死んだ人間だから、もう怖いものは無い。何でもできる」と思ったそうだ。

 

 彼女は高校を卒業すると岩手の田舎から東京へ出てOLを始めた。

 

 OL時代。恵比寿の屋台で飲んでいると、あるテレビの撮影が来ていて「君、出演して」と言われてインタビューに答えたらしい。

 すると、その番組を構成していた大物放送作家・E氏の目に止まった。

 「君、放送作家やらないか?」と言われたそうだ。

 何故、いきなりスカウトしたのかは分からないが、会話の中に「魅力的なワード」があったのだろう。

 

 そして、そのE氏はいきなり番組を紹介したという。しかも、それは、日本国民なら誰もが知る民放の深夜番組、♪ダバダバ~ダバダバ~! でお馴染みの、あの番組だった。しかも、新人扱いではなく、メインの作家。ギャラは現在の仕事より高かったというのだ。

 

 まるで、ドラマみたいな話である。文章すら読まずに抜擢するなんて、アメリカンドリームでも聞いたことが無い。作家生活をノーギャラからスタートした私とは雲泥の差である。

 

 ある日。Aさんと飲んで居ると…。雑誌にクイズが載っていた。Q「高峰秀子上原謙のCМ、フルムーン旅行のロケ地となった温泉はどこ?」

 

 Aさんが答えた「法師温泉!」

 「凄いな~! 何で知ってるの?」

 「だって、このコピー考えたの私だもの…」

 「えええ~!」

 

 この「フルムーン旅行」のコピーを考えた当人だと言うのだ。

 「CМのロケも行ったよ!」

 

 事務所の人に頼まれて、仕方なくコピーを書いたら「フルムーン旅行」が大ヒットしてしまったそうだ。そんな馬鹿な話は聞いたことが無い。

 もう少し話を聞くと…。

 「実は、その時。糸井重里さんとトークライブに出てるのよ!」

 「ええええええ~! どういうこと?!」

 

 聞くと、当時、NTTのトークライブという公演があって、コピーライターの林真理子さんのスケジュールが無くて、他に女性のコピーライターで探したら、当てているのはAさんしか居なかったそうだ。初めは断ったそうだが、担当の女性が泣きだして

 「Aさんに出てもらわないと、困るんです」と言ったので、仕方なく出たという。

 

 トークライブでは、電話帳を渡されて「気になる」広告を選んで下さい。と言われ、

 選んだら、自分の前に語ったゲストが同じ広告を紹介してしまったそうだ。

 「マネしたと思われる」と思ったAさん。適当に開いたページから普通の広告を選んでしまい。説明に困ったそうだ。「普通が逆に良い!」などと誤魔化したようだ。

 

 Aさんと飲んで居ると、こんな話がドンドン出てくる。Aさんは元バレー選手の河合俊一さんと仲が良いのだが、「何で知り合ったの?」と聞くと「だって、私、スポーツ新聞の記者やってて、バレーの担当だったのよ!」

 

 この時。Aさんは20代後半である。経歴が多すぎる。

 「何でスポーツ新聞の記者になれたの?」

 「それがね! 湯河原で芸者コンパニオンやってた時に…」

 「芸者? めちゃくちゃだ!」

 

 話を聞くと、芸者コンパニオンをやっていた時。スポーツ新聞の団体が泊まりに来て、意気投合。高校時代バレー部だった話をしたら「記事をかいてみないか」と成ったそうだ。

 そんな馬鹿な! この文を読むと「その女、嘘つきでは?」と思われても仕方がないが、それが事実なのだ。

 

Aさんと名古屋の番組で会議をしていると、当時、セレブしか持っていない携帯が鳴った。彼女はハンドバッグからアイロンぐらい大きい携帯を出して、会話を始めた(平野ノラのネタみたいな状況である)。

 

 「あっ! ヨッチャン! 久しぶり~!」(ハイテンションで世間話をして切った)

 「誰なの?」

 「アメリカから、Xのヨシキからの電話よ!」

 「何~~! X! しかも、ヨッチャンって呼んでるのかよ!」

 

 会議はしばらく止まってしまった。これも、嘘に聞こえるかも知れないが真実である。

 

 私は渋谷で開かれた、Aさんの誕生会に出たことがあるが、Xのメンバー全員が出席していた。私はヨシキさんと東海林のり子さんの隣で飲ませてもらったので間違いない。他にも、大物歌手、アイドル、プロレスラーなど、テレビで見る皆さんが沢山来ていた。渋谷の真ん中の店なので外がパニックとなり窓から複数の人が覗いていた。

 

 このAさんがある日。名古屋の音楽番組のスタッフに言った。

 「私、アメリカに住むので番組辞めさせて下さい」

 大きな番組を何本もやっていたAさんだが、全部、辞めてアメリカに住むと言うのだ。しかも、アメリカに行って話題になった超有名女性コメディアンと、超有名女性歌手と一緒に住むという。これも、驚きだ!

 

 その後、帰りの新幹線の中で…。

 Aさん「小林さん、トシがアメリカからラジオやりたいって言うんだけど…何とかならない?」

 「えっ! Xのトシさん? そんなこと言われても…」

 「お願い! 東京FМの人に言うだけ言ってみてよ!」

 

 伝えるだけなら出来るので、当時、私がやっていた番組のプロデューサーに相談してみた。

 「トシさんが、アメリカから番組やりたいって言うんだけど…どうですか?」すると

 「小林君! この話、絶対よそにはしないで! すぐ、動くから!」

 

 聞くと、このプロデューサーのTさんは、トシさんのオールナイトニッポンの裏番組を担当して苦戦した経験があるという。

 

 数日後。トシさんの事務所の社長さん、Aさん、私、Tプロデューサーで顔合わせをした。そこで、Aさんが言った「ハガキの部屋って大きさどのぐらいですか? 大丈夫かな~? この番組始めたら、ハガキで部屋が埋まりますよ!」と言った。凄いプレゼンだ(ハッタリも一流である)。

 

 すぐに、新番組が決まった。アメリカで収録。構成作家はAさんと成った。

 そして、Tプロデューサーが言った。

 「小林君! ありがとう! これは凄いことだよ!」

 「あれれれれ~?」私はそのまま分かれて終わりだった。電車賃の赤字である。

 

 やはり、持っている人は違う。Aさんは雑誌のレギュラー一本とラジオ一本のレギュラーを決めてアメリカへと旅立った。

 

 私は一人で目が点状態だ。私の今回の働きは何だったのだろうか?

 「薩長同盟」をまとめた坂本龍馬の様に放送局を去った。

 

このAさん。XーJAPN関連の話題で春風亭一之輔のFМラジオ「サンデーフリッカーズ」(JFN)の「そこが知りたい」のコーナーに出演したことがある。

 今は結婚してAさんではないが、先日、久しぶりに会ったのだが、相変わらずパワーは全開だった。

 

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