放送業界のお話と落研と私的な思い出(瞳尻・黒舟)

「嗚呼!青春の大根梁山泊~東海大学・僕と落研の物語」スピンオフ・エッセイ。放送関係。業界のエピソードと近所の出来事

落研の後輩は「初めて地獄」にあう!

 私は昭和55年に東海大学落語研究部に入部した。その時、四年生に頭下位亭平頭(とうかいてい へいず)という先輩がいた。「頭」の字が入っているところをみると、頭下位亭獅子頭(ししがしら・現・柳家一九師匠)さんが付けた名前だと思われる。

 

 平頭さんが「うちに泊まれよ!」と言った。何故そうなったかは分からないが、多分、末広亭で落語を観た後、安居酒屋で飲んで、その流れではないかと思う。

 平頭さんは部員では珍しく中野に住んでいた(大学から一時間以上かかる)。この時、東京に下宿していたのは、この人だけだったと思う。とは言え、お金持ちではなく、トイレ、炊事場が共同の汚いアパートだった。

 

 平頭さんに連れられて駅を降りると…。

 「もう一軒飲もう! お前、チューハイ飲んだことあるか?」

 「ありません!」

 「よし! 飲ませてやる」

 

 私はチューハイ等、初耳の言葉だった。田舎の静岡では当時なかったかも知れない。小さな古い建物の居酒屋でチューハイをごちそうになった。

 私には焼酎が強く、飲みにくかった。しかも、かなり酔いが速かった。当時は、お酒になれていなかったのだ。

 

 そのまま先輩の下宿に泊まった。朝起きると…。

 「ロールキャベツ食べるか?」

 「ロールキャベツって何ですか?」

 「食べたことないのか? 食べさせてやる」

 

 平頭さんの得意料理はロールキャベツで、訪れる後輩にいつも振舞っていたらしい。

 

 後日。部会の帰りにみんなで行きつけの喫茶店「マキ」へと行った。そこで、私は平頭さんに何か「突っ込み」をしたのだと思う。すると、平頭さんが言った。

 「黒舟! 初めてチューハイを飲ませてやったのは誰だ?」私は姿勢を正して言った。「平頭さんです」

 

 まわりから、笑いが起った。そして、しばらくすると、また、平頭さんが言った。

 「黒舟! 初めてロールキャベツを食わせてやったのは誰だ?」

 「平頭さんです」

 

 すると、他の先輩達が面白がって乗って来た。

 「黒舟! 水持ってこい! 初めて「マキ」のカレーを奢ってやったのは誰だ?」

 「実志(じっし)さんです」

 

 「黒舟! 初めて東京タワーに連れてったのは誰だ?」

 「夕菜(ゆうな)さんです」

 

 「黒舟! 大学に入って初めて会話した女性は誰?」

 「味彩(あじさい)さんです」(これは、30年以上たった今でも言われている)

 

 「黒舟! 初めて小噺を教えたのは誰だ?」

 「貞車(ていしゃ)さんです」

 

 ううううう~~! めんどくせ~! このクラブでは、「初めて」先輩に何かしてもらうと、「一生」恩にきせられるという伝統があったのだ。

 

 そのうち、エスカレートして先輩達は嘘まで浴びせてくる。

 

 「黒舟! 初めて歩き方教えたのは誰だ?」

 「黒舟! 初めて言葉教えたのは誰だ?」

 もうメチャクチャである。その場が盛り上がったので、それでOKだが、やはり酷い人たちである。

 

 ちなみに、放送作家になって、初めて「ウニの寿司」を食べさせてくれたのは、三宅裕司さん。初めて「レバサシ」を食べさせてくれたのは、春風亭昇太さん。初めてプレゼントを頂いたのは加藤茶さんである。

 

 そして、初めてラジオ番組に春風亭一之輔さんを引っ張り出したのは私である。おお~!最後にやっと、ここまでもってこられた!

 「サンデーフリッカーズ」(JFN)は毎週日曜日の6時から生放送。局によって放送部分はまちまち。

 放送10年のに突入した夏。メールの数は増えている。皆様のお陰です。

 

 

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