放送業界のお話と落研と私的な思い出(瞳尻・黒舟)

「嗚呼!青春の大根梁山泊~東海大学・僕と落研の物語」スピンオフ・エッセイ。放送関係。業界のエピソードと近所の出来事

「いっしょうけんめいカタルーニャ」

 バルセロナ五輪があった年。有楽町の某ラジオ局で羽野晶紀さんの番組が始まった。当時、羽野さんは「大阪のキョンキョン」と言われる程の人気で、可愛いのに面白いという貴重な女優さんだった。タイトルは「羽野晶紀のいっしょうけんめいカタルーニャ」。月~金の帯でナイターオフの番組である。

 

 私は、この番組の一曜日を担当することになった。この番組の作家はみんな若く、私も30歳ぐらいだったが、他は皆、20代でワイワイとやっていた。

 羽野さんもスタッフを気に入ってくれた様で、クラブの様に仲が良い。羽野さんとスタッフでスキーに行ったり。ボウリング大会を開いたりしていた。

 スキーの時には、羽野さんの事務所の女性社長さんに、つきっきりでスキーを教えてもらったりもした。こんなことは初めてだった。

 

 ボウリング大会の時、私は他の仕事で欠席させて頂いた。仕事を終えて家に帰ると、留守電が入っている。

 

 再生ボタンを押すと…。

 「…羽野晶紀です。何で~こないの? みんな集まってるのに~! 小林君は何でこないのかな~? ガチャ!」

 酔っぱらった様な声で本人からの留守電だった。私は年上だが、「小林君」と言われたのが、学校の同級生みたいで良い感じだ。

 私は嬉しくなって、しばらくこの留守電を消さずにとっておいた。

 

 タレントさんが親密に接してくれるのは、ラジオならではだ。テレビの番組で、この手の電話を有名人からもらったことはない。

 楽しかった仕事の一つとして、今も記憶に残っている。

 

 番組が終わって、10年ぐらいたっただろうか? 

 私が時間つぶしに新宿の高島屋へ行くと、家具売り場に、見覚えのある女性がいる。

 羽野晶紀ちゃんである。

 

 私は少しずつ近づいて、声をかけようとした…。

 すると…。羽野さんは「逃げる」「逃げる」足早に移動を始めたのだ。私とは気づいていないのだ。

 

 私は「いや! 違う! 僕ですよ!」と追いかけると…。

 変態か危ないファンに追いかけられた様に逃げてゆく。

 「いや! 違います! 僕でです! こ・ば・や……」羽野さんは遥か遠くに行ってしまった。

 ここまでくると、私も走る体力が無い。あきらめて「濡れ衣の変態」として帰ることにした。

 

 以前のエッセイでも書いたが、私はラジオのレギュラーをやっていたのに、平松愛理さんに「覚えていない」と言われた男である(ブログを遡って読んでください)。

 羽野さんも忘れてしまったのだろうか? それにしても、屈辱である。

 

 春風亭一之輔のFМラジオ「サンデーフリッカーズ」(JFN)のゲストに俳優の右近健一さんが来たことがある。右近さんは「劇団☆新感線」で羽野晶紀ちゃんと一緒に演劇をやっていた仲間である。

 

 そこで、右近さんに、デパートで羽野さんが逃げたことを話をしてみた。

 右近さんは、笑いながら「それは、何ですかね~? 今度、本人に会ったら聞いてみます」と言っていた。

 

 あれ以来、右近さんはゲストに来ていない。真相は闇のままである。右近さん、何かの告知でまた来てくれないかな~! と思う今日この頃である。

 

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