放送業界のお話と落研と私的な思い出

放送関係。業界のエピソードと近所の出来事

不思議な先輩、裸ん坊さん。

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海洋学部・落研の手ぬぐい


 夏が近づくと、東海大学落研の先輩・頭下位亭裸ん坊(とうかいてい らんぼう)さんを思い出す。一つ上の先輩だが、この方は海洋学部の落語研究部(校舎は清水・沼津)。我々とは校舎が違うので、一緒に部会はやっていないが、春の合宿だけは合同で行われていた。

 

 この名前は、当時、封切された映画「ランボー」からきている。名前の通り、バンカラで男臭い、戦後すぐの学生みたいな人だった。

 親分肌で人脈もあり、空手部や応援団にも同格の友達がいて、文化部連合では強い力を持っていた。

 私が、クラブの用事で文化部連合のワゴン車を借りる申請を出して断られた時。この、裸ん坊さんが一本電話を入れると、すぐに貸してもらえたこともある。

 

 そんな頼もしい先輩で、後輩には良くおごってくれる。最高の先輩なのだが、この方は落語がうけないという、落研最大のペナルティーを抱えていた。

 可哀そうだが、こればかりはどうしようもなかった。

 

 この裸ん坊さんは、卒業後。コピーライターになった。大手建設重機の会社のコピーを書くなど、仕事は順調だったようである。

 

 また、この先輩の父親は有名な放送作家でNHKの教育番組などを手掛けていた、サイエンス放送作家の草分けだった。その伝手もあってコピーライターになったのかも知れない。

 

 さらに、高校の同級生に今村正平監督の息子さんが居て、仲が良いと言うのだ。

 

 ある日。この先輩が言った。「同級生と映画を撮るから、役者を紹介してくれ! 良い人がみつからなかったら、お前が出ろ!」

 素人の私が出るのは、チョット無理だ。困った私は「ワハハ本舗」の作家兼役者だった方に連絡した。すると、「劇団員のプロフィールを全部送るから選んでくれ!」と言う話になった。

 結局、村松利史さんに決まったという。「ひたすら草を刈る男」の話らしいが、それなりの評価をされて、何かの賞ももらったという。

 

 あの時、私が出演していたら、今頃、どうなっていたことだろう? 当時の私には欲が無く、演技などして演出家に怒られたら怖いので、表舞台には出たくなかったのだ。

 

数年後、また、裸ん坊さんが言った。

 「同級生の監督が撮った映画の製作をやったんで、ラジオで宣伝してくれ」

 「マイナーな映画は無理ですよ」

 「主演は橋幸夫さんだよ!」

 「えええ~!」

 聞くと、本当に橋幸夫さんの映画だった。この告知は「春風亭昇太のスーパーギャング」(TBS)で行われた、後輩が製作したので昇太師匠も仕方がなかったのだ。

 

さらに、数年後。六月後半だろうか、突然、裸ん坊さんから電話があった。

 「久々に、飲まないか? 今日、時間ないか?」

 「今日はチョット、無理です」

 私は断ってしまった。原稿が上がっていなかったのだ。

 

 数か月後。裸ん坊さんの白骨死体が千葉の沼で発見された。

 

 後で分かったのだが…。私に「飲まないか?」と電話した日。先輩の春風亭昇太さんにも、味彩(あじさい)さん(裸ん坊さんの同期)にも電話があり、仕事で断っていたそうだ。亡くなったのは、その直後であった。

 

 自殺らしいが、その理由はまったく分からない。「あの時、飲みに行っていたら止められたのでは?」と悔いが残る。

 

 お葬式に行くと、出棺の時。ナレーションが流れた「故人の遺言により出棺の音楽は「ゴースト・ニューヨークの幻」のテーマ曲と成っています」。

 

 会場がざわついた! この映画は、死んだ彼氏が霊となって彼女のピンチを救うというものだ。

 

このお葬式に故人の愛した女性がいるのかも知れない。

 

 真相は誰にも分からないが、どうしてこんなことになってしまったのか? いつも、夏前のこの時期に思い出す、悲しい出来事である。

 

 今、生きていてくれれば、新作映画のお知らせを、春風亭一之輔のFМラジオ「サンデーフリッカーズ」(JFN)で出来たかもしれない。同級生の監督さんは、皆様ご存知の凄い方である。

 

 

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