放送業界のお話と落研と私的な思い出(瞳尻・黒舟)

「嗚呼!青春の大根梁山泊~東海大学・僕と落研の物語」スピンオフ・エッセイ。放送関係。業界のエピソードと近所の出来事

青学落研OBの森武史(たけし・フリーアナ)さん!

 春風亭一之輔のラジオ「サンデーフリッカーズ」(JFN系全国放送)に一度出て頂いた、元読売テレビ森たけしさんは、私(昭和55年入学)の1年先輩。私は東海大だが、森さんの居た青山学院・落研とは交流があった。

 

 森さん(誉れ家笑さん→火の見家はん生)は、同期の、芸術院せん生(→料亭花柳)さんと、素人漫才コンビ「青山一浪・二浪」の一浪としてテレビに出ていた。

 後輩達には憧れの先輩である。しかし…何故か私は、森さんの漫才も落語もほとんど観たことが無い。

 

 青山一浪・二浪は「TVジョッキー」で白いギターを貰ったり、「笑ってる場合ですよ!」の「勝ち抜きコーナー」でチャンピオンになったりしていた。さらに、所ジョージさんの「ドバドバ!大爆弾!」にも出演したそうだ。

 

 実は私は、このテレビを全部見逃している。今思うと痛恨である。1年の時はテレビが無く、2年で兄貴に買ってもらったが…。新聞をとっていないし、いつ、どんな番組があるかを把握していなかったのだ。

 

 ドラマもたまたま家に居て第一回目を見た「ふぞろいの林檎たち」ぐらいしか観ていなかった(4年当時)。確か、1年の時「池中玄太80キロ」を見ていない私に、3年の実志(じっし・現テレビディレクター)さんが「池中玄太、見なきゃだめだ!今日、最終回だから家で見ろ!」と言われ、いきなり感動したのを憶えている(後に再放送で全話見ましたが)。

 

 そんな環境のため、森たけしさんの青山一浪・二浪を生で観たのは、青学落研の四年生の最後の高座「青山名人会」となった。

 森さん達四年生が主役だが、同期の人数が多すぎて全員が落語をやると時間が足りない。そこで、過去に大きな会に出ている者は、遠慮して漫才やコント、珍芸、でお茶を濁していた様だ。

 

 青山一浪・二浪も持ち時間はかなり短かかったが、確かに面白い。お揃いのブレザーが格好良く、観客によくウケている。

 森さんは進行(突っ込み)で、ほとんど合い方がボケまくりなのだが、それを上手く拾って客に伝える。今でいえばナイツの土屋君のような見事なさばきを見せていた。

 

 ちなみに、この時、一緒に出ていた「W千葉県人」という漫才がいたのだが、漫才はさておき!(こら!先輩だぞ!)ネーミングの良さには唸ったものだ。勿論、プロの「Wけんじ」をもじった秀逸な名前だ。二人共本当に千葉県人だったと思われる。漫才はさておき!

 

 そして、森さんの落語は一度だけ…。「手紙無筆」を生で観たことがある。

 

 当時は三年生だっただろうか? 口跡が良く仕草が綺麗。古典に忠実だが、笑いもしっかりとっていた。封書を開ける仕草をプロ並みの精度でやっていたのが印象的だった。

 学生は、細かい仕草を適当に誤魔化すことが多い。やってもウケないからだ。

 そこをあえて、しっかりとやるのは凄い!森さんの芸に対する拘りと技術は一級品であったと思う(当人が読む可能性があるので絶賛です!)。

 風のウワサでは(青学の同期の話)、森さんは「野晒し」が美しく笑いもとっていたと聞く。

 

 流石はアナウンサーとして大成する男である(「コロナが収まったら、東京でおごる」と約束してくれた森先輩の言葉を私は忘れない…)。

 

 こんなコラム見て喜ぶ人がいるのだろうか? 単なる森さんへのたかりである。

 

 

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尊敬すべき変な先輩・二代目・甘奈豆(おそ松)さん!

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               ↑

         三代目・頭下位亭馬好(黒舟より襲名)「饅頭怖い」より。

 


 私が東海大学落語研究部に入部した、昭和55年。三年生の委員長(部長)だったのは、二代目・頭下位亭甘奈豆(とうかいてい あまなっとう 元・おそ松)さんだ。

 (ネット書籍「嗚呼!青春の大根梁山泊東海大学・僕と落研の物語~」にも登場しているので一読願いたい。このブログと内容の重複もあります。安価有料)。

 

 ここでは、名称はおそ松さんで記すことにする。我が部では名前を襲名しても、日常は、一年入学時の名で呼ぶことになっていた。

 

 おそ松さんは、同期の切奴(現・昇太)さんと同じボロアパート、小田急相模原の「共栄荘」に住んでいた。

 この人は、服装は何でも良いタイプで、仕送りが来るとすぐ使ってしまう。田舎の新潟からお米が送られてくるが、自炊はほとんどしない。

 このお米は、お金を借りている同期・ぷっ陳さんへの「年貢米」として、借金のかたに消えていた。

 

 おそ松さんは、毎日、部室に来るが講義には出ない。試験も受けないのに「俺、ひょっとして留年かな?」等と言っている。「ひょっとしなくても留年である」。

 

 そんなダメダメ人間の、おそ松さんだが…。落語をやらせると本格派で実に上手い。それも、大きな会では「最高の高座」をやるが、その後、老人ホームの慰問などでやると、ボロボロのうろ覚えだったりする。

 大きな舞台、本番にだけ力を発揮するタイプだ。舞台が小さいと何故かテレてしまうのか、いつも恥ずかしそうにやっていた。

 

 私が好きだったおそ松さんのネタは「蜘蛛駕籠」(渋谷三大学落語会)「目黒の秋刀魚」(三年の文化祭・最終日の主任)「片棒」(学内の会)「富久」(年忘れ落語会)だ。

 「蜘蛛駕籠」は、基本に忠実な柳家系のネタで、変なギャグは無し。それなのに、しっかりと会場に笑いが起きている。

 おそ松さん曰く。「蜘蛛駕籠」は東海落研伝統のネタで、過去のレジェンド達が持ちネタにしていたそうだ。

 当人は「俺は不器用だから、ギャグは入れない。だけど、仕草には拘ってるんだ。寒さの描写とか、歩く時の動きなんか俺が一番上手い!…どうだ!黒舟!尊敬したか?」

 おそ松さんは、よく、「自分が一番」だと自慢するが、自慢した自分にテレて「どうだ!尊敬したか?」と聞くのが決まりだった。

 私が「尊敬してます」と言うと「えへへ!お前、良い奴だな!」と頭をかいていた。

 

 「目黒の秋刀魚」は、三年の文化祭の最終日にネタおろししたのだが、客席からドカドカと笑いが起っていた。

 私は、この噺はプロがやるもので素人がやるとシラケると思っていたので、本当に驚いた。やはり、この人は、だだモノではない。

 

 しかも、「目黒の秋刀魚」をやったのは、この時、一回だけ。

 老人ホームの慰問などで私が「「目黒の秋刀魚」やって下さいよ!」と言っても、「もう、忘れた!」と絶対にやらなかった。

 

 同様に「片棒」も、ネタおろしで大爆笑を取りながら、二度とやることは無かった。まるでプロの様な仕草やリズムだったのだが、何故か一度しかやらない。

 

 そのクセに、老人ホームでは、覚えたての「つる」や「小言念仏」を適当にやって、ボロボロの高座を見せていた。

 とても、同じ人間とは思えない不思議な人である。「小言念仏」は、何回も観ているが、いつも「練習してないから、ダメだな!」と降りてくる。

 

 この人は、もう、落語に熱が無くなったのだろうか…。と思ったものだ。

 

 しかし、それは違った。

 

 四年生の最後の高座「年忘れ落語会」の主任(とり)で「富久」を堂々と演じて、会場を唸らせたのだ。まだ、落語熱は無くなっていなかった。最後の高座に向けてボルテージを貯めていたのかもしれない。

 

 この会では頭下亭実志さん(現・テレビディレクター)が「幾代餅」を演じ、この出来が素晴らしく、会場には満足感が漂っていた。

 さらに、主任の前には頭下位亭切奴(現・昇太)さんが、大幅に与太郎のキャラを代えた「道具屋」で、ひっくり返るような大爆笑をとっていた。私の見た素人の高座ではこれ以上の笑いは皆無である。

 

 この後に、「富久」で客を引き付けた、おそ松さんはサスガである。

 

 ちなみに、この時。二年生で唯一人、演者に選ばれていたのが、私、頭下位亭黒舟である。前座の後「饅頭怖い」をやったのだが、プレッシャーに弱くややウケだった(秋の文化祭では切奴さんに褒めてもらったのだが…)。

 

 おそ松さんは、談志師匠の「富久」のテープを國學院の先輩・若木家元治ー(現社会人落語の若木家元翁)さんからダビングしてもらって元ネタにしたそうだ。

 そのテープを私にも聞かせてくれたが、仙台の独演会の音源らしく、素晴らしい出来のものだった。

 

 そして、おそ松さんは言った。

 「談志師匠は、最近、ヒゲはやして東京ではトークしかしてないけど、地方で初めて落語を聞くお客さんには、熱の入った高座をやるんだよ!そんなこと、知ってるなんて、俺、凄いだろう?…尊敬したか?」(昭和56年の会話)

 「尊敬してます!」

 「お前、騙されやすいな!」

 いや、私は反射的に先輩を喜ばせようとして言っているので、騙されているのはおそ松さんの方である。

 

 おそ松さんは、その高座の後、二度と落語をやっていないと思う。完全に燃え尽きた様だ!まるで明日のジョーの最終回だ!

 

 おそ松さんは、大学を去り。実家のお寺を継いだ。

 

 

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サンデーフリッカーズの後の桂宮治・真打パーティーは眠い!

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 2021年2月7日。朝3時に起きで半蔵門の東京FМへと向かう。これが、日曜の日課である。春風亭一之輔のラジオ「サンデーフリッカーズ」(JFN)の生放送の為だ。

 最近、メールが多く読み終わるのは本番ギリギリだ。また、本番中にも新しいメールが次々と入ってくる。放送十年を超えて、今が一番多いように感じる。嬉しい限りである。

 

 放送は朝6時から7時30分まで(地方により放送時間帯は別)。放送後、1時間ほど番外編を録音するのだが…。これは、かなり眠たい時間である。

 生放送が終わった安堵感のなかで、部室の様な「ゆるいトーク」をするからだ。一之輔さんは、こちらもノリノリだが…。

 

 来週のテーマ決めも終わり、一之輔さんは愛知の仕事へと旅立った。

 

 いつもなら、私は車ですぐに帰るのだが…。今日は、異例の抜擢真打・桂宮治さんの真打お披露目パーティーがある。開始は新宿のホテルで11時だ。

 本来、家に車を置いてから行きたいが、中途半端に遅刻の可能性がある。少し、早いが直接会場へと車を走らせた。

 

 実は、今日のパーティーはコロナ禍を考慮して「飲食なし」「会話なし」「マスク着用」の異例のお披露目だ(ソーシャルディスタンスは完璧である)。

 写真の様に、テーブルには水だけが置かれている。料理はお土産の弁当に入っている仕組みだ。

 

 今日の私には好都合で、飲酒もないし大きな荷物も車なので苦にならない。

 

 司会はナイツの二人が務めたが、今回、分かったことは、飲食が無いと司会のギャグが良くウケるということだ。

 

 食事が無いと、一同が司会や来賓挨拶に集中するのだ。人間は所詮動物。食べ物を前にすると「餌をもらった猿」と同じで、餌(いや食事)に夢中になることが良く分かる。

 

 そして、「お預け」をくいお土産を貰った猿たちは「ウッキッキー!」と言って家路に着いた。

 

 帰ろうとすると、駐車場への降り方が分からない。来た時の逆を行けばいいのだが、猿は来た道を憶えていないのだ(ハトになるべきだった!)。

 大御所のK師匠が駐車場へと向かっているので、ついて行くと…。

 

 「君は本館駐車場?こっちは逆だよ!」

 「ありがとうございます」

 

 お礼を言ったものの、どこを探しても降りる場所が分からない。思い切って、別館の駐車場に降りてから、歩いて探すことにした。すると、どこにもない。本館の駐車場はまったく別の空間なのだ。

 

 ロビーで聴いて分かったのだが、私がB1だと思っていた駐車場は、一階だというのだ。入る時は地下に潜ったのに何故?

 つまり、道は二階だったことになる。こんなの猿に分かる訳がない!普通、道は一階だろうが!何だ!新宿!誰だ道作ったの?

 

 しかも、車のナビゲーションが私の自宅を間違えている様で、正しい道なのにUターンをさせようとしている。「お前も猿か! この、猿ナビ!」。もう、自分しか信じられない(自分を信じて駐車場で迷ったのだが…)。

 

 やっと、自宅へと帰ると…。気になるのは弁当だ!

 お弁当の包みをを開けると木箱に「なだ万」と書かれている。超高級弁当だ。肉が超柔らかく、弁当のレベルではない。この弁当…5~6千円はしそうである。

 

 猿と化した私は、尻をかきながらむさぼる様に食べる。豪華にもお茶まで煎れる。ここが、本当の猿と違うところだ。

 そして、ウッキー!と言いながら寝る。食べてすぐ寝て「牛に成る」。

 

 話は飛ぶが…。私は今月だけW▼▼▼▼に加入した。春風亭昇太さんのドキュメントが放送されるからだ。

 昇太さん本人に言ってみた。

 

 私「僕、W▼▼▼▼入っちゃいましたよ!」

 昇太「何で?」

 私「昇太さんのドキュメント「K長のK断」ってやるじゃないですか?」

 昇太「ああ~!あれ、☓☓☓た▼▼▼ん、〇〇〇~んだよ!」(放送前にはとても書けない)

 

 まったく、のんきな会長である。

 

 今、私は「☓☓☓た▼▼▼ん、〇〇〇~」が楽しみである。W▼▼▼▼は面白い!一ケ月で解約しますが…。

 

 次に入るのは「吉田拓郎」のライブを放送する時になると思う。

 

 

 

めでたいついでに…

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「落研の裏レジェンド!外伝!」

 東海大学落語研究部・一年生の春。大学最寄りの駅、小田急線・大根駅(現・東海大学前駅)から、鶴巻温泉側へ歩いてすぐにスナック「ルパン」があった。

 

 ここは、落研の出入りはなく、一年だけで同期会議をするのに都合が良かった。

 

 一年の同期、頭下位亭黒舟(とうかいてい くろふね・私)、我裸門(ガラモン)、切笑(せっしょう)、で飲んで居ると…。

 一番奥の席に、なんだか怖い集団がいることに気づいた。みると、ガクランの男達が「押忍~!」等と言っている。

 

 完璧に応援団である。その日は、OBが来ていたらしく、私服の怖そうな人が真ん中に座っていた。

 

 我々は、面識がないので問題ないが、怖いので、きりの良い所で店を代えようと思い席を立った。

 

 すると…。

 

 「あれ! お前ら、うちの兵隊じゃね~か!」

 「えっ!」

 

 良く見ると、一番大物の応援団OBの隣に大男がいる。あれ? ジャイアンみたいな人だ…。私は目を疑った。そう、落研の裏レジェンド・四年生の夢豚(ムートン)さんだ。

 

 夢豚さんは、体育会や格闘関係の部とも親交があり。その人望から大学の文化祭「建学祭」の副実行委員長を務めていた。

 そのため、各団体の大物OBとも仲が良かったのだ。

 

 夢豚「紹介します! うちの一年生です」

 三人「失礼します!一年の〇〇です」

 夢豚「丁度いい! 今から兵隊が、芸やりますから見てやって下さい!」

 三人「えええ~!」

 

 三人の兵隊は固まってしまった。すると…。応援団のOBが「モノマネ見たいな!」と言った。

 

三人「ええ~!」

 

 三人の相談の結果。モノマネが全くできない私が司会役で、他の二人がモノマネをやることになったのだが…。彼らもウケるネタなどない。

 

 落研の何代か前の先輩が開発した「モノマネ南京玉すだれ」というネタがあったので、その形を使うことにした。

 これは、「南京玉すだれ」(ご存知で無い方はお調べください)の歌を使って、

♪あ、さて!あ、さて!あ、さて!さて、さて、さて、さては南京玉すだれ~チョイと伸ばせば、チョイと伸ばせば〇〇〇にさも似たり~!

 

 と歌った後、モノマネをやると言うものだ。玉すだれは無いので無理やりだが、クラブ内の宴会芸である。

 

 ネタはなくとも、先輩の命令は絶対だ。とにかく、やるしかないのだ。

 

 私「♪あ、さて!あ、さて!あ、さて!さて、さて、さて、さては南京玉すだれ~チ  

   ョイと伸ばせば、チョイと伸ばせば草刈正雄にさも似たり~!」

 切笑「今晩は~!草刈正雄です!」シ~ン! 

私「♪あ、さて!あ、さて!あ、さて!さて、さて、さて、さては南京玉すだれ~チ  

   ョイと伸ばせば、チョイと伸ばせば石立鉄男にさも似たり~!」

我裸門「おい! ちーぼう!」シ~ン!

 

 予想した通りの、潮が引くようなシラケ方。三人の兵隊はあっけなく戦死した。

 

 応援団の大物OBが言った。

 「う~ん! 昔、獅子頭は面白かったのにな~!」(獅子頭さんとは、現・柳家一九師匠である。獅子頭さんは大学の校舎の形の形態模写やジーパン刑事の殉職シーンのモノマネ等でウケていた)。

 

 夢豚「すいません! この兵隊! まだ、一年生なんで許してやって下さい! 切奴(現・昇太師匠)が居ればな~!」

 一同「(心の声)あんたが、やらせるからだよ!このメンバー見れば予想がつくだろう!」

 

 夢豚「黒舟~! 司会やるなんて、お前も偉くなったもんだな!まあ、かってに飲んでろ!」

 

 先輩は悠々と去っていった。

 

 我々三人は、自分の力の無さに打ちひしがれ、とても酔える気分ではなかった。

 

 でも、私には分かっています。「夢豚さんは私たちにチャンスをくれたのですね」それを生かせなかったのは、我々の勉強不足でありました。「押~忍!」とコラムでは書いておこう…。

 

 ちなみに、夢豚さんのその後を知りたいと、書き込んだツイッターの答えを…。

 卒業後、信販会社に就職。後輩全員強制的にクレジットカードを作って下さいました。その後、転職した時、夢豚さんの一言「もう、やめたから解約していいよ」。

 このカード。あれから数十年たちますが、今も私のメインのカードとして活躍しています。

 

 裏レジェンドは不滅です!

 

 

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テレビ演芸出演漫才・せ~の!私には分からなかった!凡人なのだろう?!

 昭和56年秋頃。私が東海大学落語研究部の二年生の時。部室の前で焚火をしながら飲んで居ると、一年生の頭下亭一団楽(とうかいてい いちだんらく・現・市会議員)と珍笑(ちんしょう・現・コンビニ経営)が言った。

 

 一団楽「漫才のネタ考えたんで観て下さい」

 

 かなり酔っていたので、勢いでやりたくなった様だ。部員みんなで、創作漫才を観ることとなった。

 二人は影で練習していた様で、しっかりと漫才をやっていたのだが…。笑いがまったく起こらない。

 

 酒の場ではウケないのは当たり前だが、私には「設定に無理がある」と思えた。

 「負けず嫌い」がテーマなのだが…。うろ覚えでネタの雰囲気だけ書くと、導入は、

 

 「負けず嫌いの山知ってる?」

 「何それ?」

 「登ってみて」

 「(登って)いや~!頂上だ~!」

 「と、思った瞬間。山頂がビューン!(伸びる)」

 (見上げて)「おお~!負けず嫌いや~!」※以下、色々な「負けず嫌い」が登場する。

 

 的なネタだった。この時、私が思ったのは、「それじゃあ、何でもできちゃうじゃないか!反則ネタだ!」との思いが強かった。

 子供の頃から、「いとし・こいし」が好きだった私には、イリュージョン的なネタに反応しなかったのだ。

 他の部員も同じ気持ちだったのだろう。誰もクスリとも笑わなかった。

 

 しかし、これは私の判断ミスだった。

 

 1年後。一団楽、珍笑、が3年の時。文化祭の高座で、シャレで、この漫才をやったのだ。すると、会場に渦を巻く様な大爆笑が起こった。

 ネタはまったく同じである。演技としても余裕が出て上手くなっていたが、それにしても、私には衝撃的だった。

 

 彼ら二人は、その勢いでテレビ朝日の番組「テレビ演芸」の勝ち抜きコーナーに出演。「せ~の!」とい名で、プロを相手に勝ち抜き「チャンピオン」と成った。

 

 しかも、私が「反則ネタ」だと思った、「負けず嫌いのネタ」は、審査員に高い評価を得た。ある審査員は「技術の無い君らがやるには、ネタが良すぎる」とまで語っていた。

 この時の審査員は、糸井重里山本益博大島渚高信太郎、花井伸夫、と言ったビックネームである。

 

 私は彼らが部室前で披露した時。誰も笑っていないことを重視してしまったのではないだろうか? ネタをしっかり分析していなかったのだ。

 酔った大学生の目など、その程度だ。まったく、その光に気づくことはなかった。

 今思うと、「負けず嫌い」という何でも使えるキーワードを見つけたのが「凄い」のだ。

 

 彼ら二人は、プロを相手に三週勝ち抜き「グランドチャンピオン大会」でも大活躍することとなる(この様子は、noteで発表している「嗚呼!青春の大根梁山泊東海大学・僕と落研の物語~」に記してある。一読をお願い致します。)。

 

 一団楽君、珍笑君、私は君達を誇りに思う。客のウケだけでネタを判断してはいけないことを教えてくれたから。

 

 でも、あの時は本当に「笑えなかったです」。それは、お互い酔っていたせいなのか? 間が違っていたのか? 謎である。

 

 笑いは難しい。六十才を前にした今でも、その思いは変わらない。

 

 

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素人がすいません!!「笑いの不思議?!古典落語の凄さを痛感!」

 東海大学落研時代。部員は当然落語を憶えて演じる訳だが…。

 

 ある時、気づいたことがある。自分が「面白い」と思って「ウケさせようと」やっている場所より、「自分ではツマラナイ」と思って、ただ普通に話しているところが「ウケる」ということだ。

 

 三年の時。「反対車」という噺を憶えた。この噺の中に、威勢の良い車屋がお客を乗せていないのに一人で走り出すシーンがあるのだが…。

 

 この時、客は「一人で走り出した」人力車を遠くに見ながら…。

 「まだ、乗ってないよ~!……ああ~角曲がって見えなくなっちゃったよ!…あっ!また出て来た!また、ひっこんだ!あんなとこ、ぐるぐる回ってるよ!気がつかないのかね~? あっ!戻って来た!「まだ乗ってないよ!」」

 

 遠くを見る視線の演技でやるのだが、私は、ここは絶対ウケないと思ってやっていた。ところが、この中に、いつやっても笑いが起る場所があるのだ。

 多分、文字で見ても気づかないと思うが…。

 

 それは、意外にも「気づかないのかね~?」の一言だ。これは、古典落語の凄さだと思う。

 このネタは先代の入船亭扇好さん(当時・二つ目・現・扇遊師匠)の音源で覚えたが(部室のオープンリールに東海大の文化祭での音源が残されていた)、私は、この部分は噺の流れとしてやっていただけで、何の思い入れもなかった。

 

 後で思ったのだが…。古典落語の「ネタの良さ」もあるが、演者が「面白いと」思っていなかったので、客も「意表を突かれて」笑ったのではないだろうか?

 私が「面白い」と思っているところは「力が入っている」ので、お客さんも「ギャグが来そうだ!」と気づいて観ている。だから余程面白くないと笑わない。

 ところが「つまらない」と思ってやっていると、素人のつたない「今からギャグ言うぞ感」が無い。

 予想しないところでボソッと言う「何でもない一言」だからウケたのではないだろうか?(プロは意図して、今はギャグを言わないという雰囲気を作っているのでは?)

 

 この分析が正解かどうかは分からないが…。

 十年程前。知り合いの作家の自宅での宴会で「落語をやれ」と言われたことがある。私は当時およそ30年は落語など人前でやったことがない。

 ネタもうろ覚えなので、適当に短くして「反対車」をやってみた。酒の席など絶対ウケないから適当だ。とりあえず、落ちまでやれば「つまらないな!」と言われても役目は務まる。

 

 始めると、やはり全然ウケない。酔っているのでほとんど聞いていない。この時、ある先輩の夫婦だけが、チャンと聞いてくれていたのだが…。

 あの「気づかないのかね~?」の所で、奥さんが笑ったのだ。この時、ウケたのは、この場所だけである。

 

 素人には、深い訳は分からないが…。やはり「ウケさせようとしない方がウケる」のかも知れない(声は大きく出してます)。

 

 以前、プロの釣り師に「釣りたいという殺気があると、魚に気づかれて釣れなくなる」と聞いたことがある。

 何か通ずるものがあるのかも知れない。

 

 昔、人間国宝の五代目・柳家小さん師匠がテレビで「落語は剣道と同じで、出過ぎると打たれる」と語っていた。

 この極意がチョットだけ分かるような気がした私である。

 

 

 

 

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人生を変えた名著「高校放浪記」「与太郎戦記」

 昭和53年頃。私は静岡県の工業高校に通っていた。私は数学が嫌いだし、手先も器用ではない。実験なども嫌いである。

 ただ、その高校が大学の付属校でエスカレーター式に大学に行けるというだけの理由で入学していた(学内でそれなりの成績は必要だが)。

 

 この高校は、ヤンチャな連中が多く、市内でも怖がられる存在だった。私はいたって真面目だが、電車に乗っていると隣に居た学生が、私の体に触れただけで「すいません!」と謝ってくる。

 この制服を見ただけで、周りの学校が怖がっていたのだ。これは、OBに大物の不良がいたのでついてしまったイメージである。

 

 実は、私の学年には、そこまで悪い奴は居なかった気がする。

 

 とはいえ…。私に被害を与えないだけで、個人的には停学、退学、する者は多かった。しかし、たいした犯罪ではなく、学校に内緒で免許を取ったとか、喫煙が見つかった程度の悪だった。

 それと、私は何故か怖いと言われる同級生と入学時に仲良くなっていたので、被害が無かったのかも知れない。

 私が入学してすぐ、隣のクラスの眉毛の無い男に「お前、悪そうな顔だな!不良だろう?」というと「そんなことね~よ!お前はどうなんだ?」「真面目だよ!」「嘘つけ!」等と、盛り上がっていた。

 その男が、後で、学内で怖がられている人物だと聞いて驚いたことがある。彼はボクシング部で天下をとった。

 彼と仲の良い私は必然的に誰もつっかかってこないのだ。

 

 中学で柔道初段をとっていたのも良かった様だ。ラッキーにもこの高校の柔道部の一年生に黒帯はいなかった。計算尺部の私が黒帯で柔道の授業に出ると、みんな驚いていた。柔道の先生には「柔道部入らないと毎回しごくぞ!」と投げられまくったのには困ったが、一時間の我慢である。 

 

 私の鈍感力は大したものだ。おかげで、三年間、喧嘩とは無縁の学生生活を送ることができた。これはラッキーだったと思う。

 

 そんな環境の私は、当然、読書などほとんどしなかった。

 

 そんなある日。手塚治虫の漫画を買いに地元・磐田市駅近くの書店へと行くと、何故か本棚の中でひと際輝く本があった。

 手に取ると「高校放浪記」とある。著者は稲田耕三。私はまったく知らない著者だったが、何か惹かれるところがあったのだろう。すぐに上下巻を購入した。

 

 私はそれまで、上下巻ある本を買ったことが無い。長いと途中で飽きてしまうからだ。しかし、この時は何故か買ってしまったのだ。

 

 家に帰ると、ダメもとで本を読んでみた。すると、スラスラと読める。展開が早く面白い。

 

 主人公の稲田君は著者の若い頃で、全てが実話のドキュメント。

 中学まで勉強がトップだった著者だが、友達を救う為に不良高校と喧嘩をしてしまう。

 すると、不良が仕返しに来る。それを、一撃で倒すと、その不良が親に言って「殴られた」と学校に言いつける。「チクるとは卑怯な!」と制裁を加えると、さらに問題は大きくなる。

 そこで、進学校の先生は稲田君を問題児と決めつける。

 

 そこから、次々と、友やプライドを守るために喧嘩することになる。しかも、ことごとく勝ってしまう為、一番の問題児にされてしまうのだ。

 

 そんな喧嘩生活を送る稲田君は、国立の医学部を目指している。しかし、喧嘩の日々が続き、成績はドンドンと落ちて行く。

 改心して、勉強すると、一気にトップとなるが…。喧嘩相手は、また挑んでくる。また、成績は下降する。そのうち、学校一の問題児となり退学となってしまうのだ。

 

 私はそれまで、読書は一日30ページが限界だった…。ところが、面白過ぎて徹夜で二冊を読み切ってしまった。

 

 彼は、色々な高校を何度も退学、入学と繰り返す。最後はやっと卒業するのだが、大学へは行かず塾の先生となり、ダメな生徒の成績を驚異的に伸ばして行く。

 

 つまり、稲田氏は教え方が上手いのだ。これは、文章からも良く分かる。読書嫌いの私が一気読みできる程、分かりやすく、スピーディーで飽きさせない力がある。

 塾の生徒の成績が上がるのはうなずける。しかも、不良の気持ちが分かるから、学校が見離したヤンチャな生徒も見捨てないのだ。

 

 私の文章には、今もどこかに「高校放浪記」のリズムがあると思う。

 

 そして、もう一つ。

 展開のバカバカしさは、春風亭柳昇師匠の著書「与太郎戦記」「与太郎戦記ああ戦友」「陸軍落語兵」のパターンを意識している(こちらは、30才過ぎてから古本で読みました)。

 実は、この柳昇師匠の本も、スラスラと読めて飽きない面白さは圧倒的である。

 

 この両者の書きまわしのリズムは、コラムにピッタリなのだ。

 

 「与太郎戦記」は何度も映画化された名作だが、「高校放浪記」の方は、漫画の「ガクラン放浪記」の原作となった(近年、古本で購入)ぐらいで、映画やドラマにはならなかったと思う(「地獄塾奮闘記」というその後の本もある)。

 

 私の中では人生最高の作品なのだが…。世間の評価はどうだったのだろうか?

 

 

 

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